2011年の民生移管後、急激に変化を遂げるミャンマー。 皆無だった携帯電話はわずか6年で普及率100%に達する見込みなど、 誰も予想できないスピードですべてが平準化しつつある同国をリポートする。
相次ぐ日系企業の進出ラッシュ 推進剤は“ティラワ経済特区(SEZ)”
「少し煽りすぎた──」。 大手経済紙の記者は、過去のミャンマー報道について振り返る。それもそのはず、2011年の民政移管後、日系メディアはこぞって“アジア最後のフロンティア”と銘打ち、安価な労働力を理由としたタイ+1の最有力国、市場開放による手付かずの5000万人市場、 急ピッチで進むインフラ整備の三拍子が揃うと、期待値を高めてきた。
だが、12年からミャンマーに駐在する日系大手商社幹部が「フロンティアであることは確かですが、モノも仕事も何もないのがこの国です」と揶揄する通り、進出日系企業の多くは「現実は甘くない。実情をぜひ見ていって欲しい」と口をそろえる。
開国・新政権始動・アメリカの経済制裁解除、日本政府による8,000億円の投資のほか、新会社法や新投資法など外国企業の進出を促す政策が発表され、ビジネスチャンスが期待されるミャンマー。ところが、ミャンマーに詳しいタイ在住コンサルタントは「長年続いた軍事政権の影響で企業の情報はほとんど公開されず、ミャンマー進出を考える多くの企業が、情報の乏しさに二の足を踏んでいます。また、アウン・サン・スー・チー国家顧問主導の新政権は、農業の近代化を重視。コメ輸出大国の復権に向け、国家を上げて農業生産率を高めています。さらに現政権には経済通が少なく、経済成長に対する明確なビジョンがありません」と指摘する。
JETROヤンゴンの山岡寛和所長も「食生活において、コールドチェーンがないため生クリームがありませんし、メッキを施す企業も存在しません。あらゆる消費財や資材は全量輸入です」と話す。続けて、日系ゼネコン幹部は「ミャンマーには多くの日系ゼネコンが進出済みです。その中で、仕事を受注できた企業は半数ほどです」と明かす。中には、建築の依頼を受けた際に、土地の権利を持った地主が複数人現れ、揉めたといったトラブルも多いという。「法整備も混沌として、役所へ手続きに行くと、昨日とは違う担当官が『今日からこれは受けられません』と、平気で運用マニュアルが変わるんです」(前出のコンサルタント)。一筋縄ではいかないのがミャンマーのようだ。
とはいえ、11年の民政移管後に普及した携帯電話は、17年中に100%に達すると見込まれ、ヤンゴン市内には高級ブランド店が入居するショッピングモールが並ぶ。日本食レストランも約20店舗に増え、“何もない”からの脱却が進んでいるのも事実。その原動力のひとつが、ティラワ経済特区に起因する。日本のODAで整備が進む、同国中核港湾のティラワ港に隣接する同国初の経済特区(SEZ)で総面積2400ha(東京ドーム500個分)を誇り、日本が官民を挙げてプロジェクトの推進に協力する同国の近代化へ向けた象徴的プロジェクトだ。
まさに、ティラワは民政移管から急ピッチで進む産業創出の原動力。産業が皆無だった同国では、ティラワSEZが開業したことで、これまでに存在しなかったビジネスが始まっている。 例えば、コイルセンター(薄板)の参入は裾野産業の第一歩だし、建設資材や肥料関連企業の参入で、輸入代替効果が期待される。
タイの日系企業が期待する労働集約産業も、従来の縫製偏重から工業製品の部品へと領域が拡大しているという。なかった“モノ”と“ビジネス(仕事)”が日々、誕生している国。それがミャンマーだ。
完成した新ルート
それまでは、輸送日数も今の倍以上だったが、完成後の移動時間は3分の1以下に短縮したという。完成当時、バンコクの日系物流会社の多くが「数年前の状況を知っている人は目を丸くして驚くでしょう。これで両国の物流は飛躍的に伸びる」と喜んだ。
新ルートの完成は、東西回廊の実質的な全通を意味し、ベトナム(ハノイ)からインドシナ半島(ラオス〜タイ)を横断し、ミャンマーまでが1本の道路で結ばれた。経済回廊のボトルネックを解消させた新ルートの恩恵は絶大かもしれない。
開発から3年で400haが完売 稼動32社。ゾーンBにも着手。 2015年9月、日本と同国の官民が共同開発を進めてきたティラワSEZ=工業団地が開業。発電所などの周辺インフラを完備したミャンマー初の大規模工業団地として、開業式典には、麻生太郎財務相、ミャンマーのニャン・トゥン副大統領らが出席した。 同SEZは、最大都市ヤンゴンの南東約20kmに立地。総開発面積2400ha(東京ドーム500個)で、住友商事、丸紅、三菱商事の3商社、国際協力機構(JICA)、ミャンマー政府、ミャンマー主要企業などが共同出資する開発会社「ミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメント(MJTD)」が造成を進める。まさに、両国の官民が力を集結する同国工業化への一粒種であり、原動力そのものだろう。 取材した2017年7月上旬は、同SEZが本格的に動き出した直後で、日本通運を皮切りに鴻池運輸、郵船ロジスティクスといった大手物流企業のほかIHIなどが次々と開業。初期開発地区(ゾーンA/405ha)は完売。すでに32社の工場が稼働していた。 MJTDの梁井崇史代表取締役社長は「当然、計画通りに行かないことも多いですが見ていただいた通り、何もないところからの発展です」と淡々と現状を語るが、実際、開発前を知る者は「数年でここまで開発が進むと予想した人はいないでしょう。2011年に携帯電話がなかった国なんですから」と、開発スピードに驚嘆する。 それもそのはず、同SEZは両国の官民挙げての開発だけに、失敗すれば日本政府の面目も丸つぶれ。それだけの予算と陣容を用意している。記憶に新しいのは、昨年末、安倍晋三首相がアウン・サン・スー・ チー国家顧問兼外相に約束した8,000億円の経済支援。これも、いずれはSEZ関連に充てられるだろう。好調を現すかのように、すでにゾーンB(約101ha)にも着手した。 「道路・港湾が未整備なのは今。しかし、いずれ解決するんです。ローマは一日にして成らずですから」(同)。つまり、現状インフラの状況は当てにはならず、SEZのバックボーンや、将来性を見据えることが重要というわけだ。 ミャンマーは2011年に市場開放されましたが、それまで携帯電話、インターネット、クレジットカード、外貨送金、建設資材など、全てにおいて何もない国でした。6年が経過した現在も、目の前には多くの不便があります。実際、思い通りに仕事に結びつかなかったり、お役所に振り回され、まったく仕事が進まないなどを理由に、撤退する日系企業もあるそうです。駐在員が生活できる品質の住宅も少なく、高額な家賃や保証面を考慮すると、1人の駐在員を派遣するにも相当なコスト。将来需要を見越した先行者利益を目指すには、かなりの体力(資金面)が必要な国。それがミャンマーです。
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