泰国三菱重工業

タイの発展に貢献

社長 斎藤 泰正

《プロフィール》 1958年生まれ。東京都出身。1982年慶應義塾大学経済学部卒業、同年三菱重工入社、京都精機製作所配属。2008年中国(瀋陽)MHI合弁企業に赴任、13年三菱重工業グローバル事業推進本部(東京都品川)、13年泰国三菱重工業社長。現在に至る。
 

「タイの発展に貢献できると自負しています」

―タイでの主な事業を教えてください
 現在の在タイ三菱重工業(MHI)グループは、弊社を含めて7社あります。生産工場がメインで、主に冷熱(エアコン、冷却システムなど空調)、重電(発電機、原動機)、自動車部品(ターボー)に分けられ、あとは弊社グループが展開するすべての事業のアフターサービスですね。おかげ様で、弊社は環境・エネルギー、交通・輸送、各種産業機械、宇宙、防衛など事業領域が広く、グループ全体で700以上の製品・サービスを展開しています。需要があれば、何でも受注・納品させていただきますよ。



交通・エネルギーインフラの整備に注力するタイは、今後も需要が見込めるというわけですね

 非常に魅力的だと思っています。特にタイは、東南アジアのなかでも自動車、家電、金属加工系の一大製造拠点でもあり、サプライヤーも充実しています。製造業を中心とする日系企業を含む外国資本の進出は、電力需要増、物流ネットワーク整備につながり、タイ政府もインフラ投資に力を注いでいます。 とりわけ、電力需要に対しては、すでに弊社が得意とする発電機(ガスタービン)を多く納品させていただき、タイ国内の約6割の発電所がMHI製です。現在では、タイ発電公社(EGAT)との合弁企業を設立し、発電所のメンテナンスも手がけています。弊社にとってタイは、東南アジア商圏の拠点という位置付けなんです。



政情不安でストップしていますが、今後タイでは高速鉄道網を中心とする大規模インフラ整備計画がありますね

 その通りです。弊社は新幹線、“ゆりかもめ”のような新都市交通などの鉄道輸送や交通システムにまつわる多くの製品を開発・製造しています。タイの交通整備計画は、一大国家プロジェクトです。ライバルは、中国やドイツといった国単位での戦いとなります。我々、日本企業連合としては、ぜひとも勝ち取りたいですね。



最近では、内外観光需要増による空港拡張計画が話題となっています

 バンコクのスワンナプームとドンムアンも満杯状態です。うれしい事にMHIといえば、MRJなど航空機のイメージを持たれる方が多いと思いますが、それだけではありません。

弊社では、ターミナルビルから旅客機に乗客や乗員を乗降させるAPM(全自動無人運転車両)、非常用電源(発電)、大型空調設備など、空港ソリューションをパッケージで請け負える製品・技術があります。 今後、ますます発展する東南アジアで、弊社が持つさまざまな産業技術・製品・サービスをトータルパッケージで提供することで、貢献できると自負しています。



タイ赴任以前は、中国に駐在していたそうですね

 中国へは、2008年の北京オリンピック後に赴任しました。反日感情が高まっていた時期でもあり、日本人への対応が多少ピリピリしていましたね。さすがに、9月18日(満州事変の発端となった柳条湖事件の発生した日であり「国恥日」)は、夜間は家から一歩も出られませんでした。 仕事はというと、私に課せられたのは、現地合弁会社の売却でした。最後(帰任時)は、中国人スタッフも含め皆で涙を流したことは忘れません。



東南アジア戦略の肝となるタイの舵取りも大役ですね

 昨年5月に赴任したのでちょうど1年が経ちました。現在は単身赴任です。

正直、ゴルフは楽しめるレベルには達していません。仕事に関しては中国での経験から得た“バランス”を大事に、タイの風土に日本企業を溶けこませることに注力しています。これも中国時代の教訓ですが、自らタイ人スタッフの輪に入るようにしています。もちろん、信頼関係だけでなく、企業として生産性を高めるために、良い人材にはサラリーで応え、長く働ける環境・制度構築も心がけているつもりです。



“勝負の2年目”という言葉もあります

 その通りです。組織構築(マネジメント)で言えば、誰もが口にする「現地化」実現にどれだけ近づけるか。そのためには、MHIという会社を理解したローカルスタッフをどこまで成長させられるかが勝負だと思っています。  弊社は、創業以来、国の根幹となる社会資本整備に関わる事業を展開してきました。沿革のなかで軍需産業の側面が強かったことも確かですが、常に国家の発展に力を注いできた自負があります。国は違えども、MHIの企業理念は変わっていません。


 

編集後記 幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎を祖とする“三菱御三家”「三菱重工業」。言わずと知れた、近代日本を形成するうえで不可欠な基幹インフラを、歴史的に背負い続けてきた企業だ。反日感情が高まるなか、別れを惜しむ中国人スタッフが皆涙し、今でも手紙のやりとりを交わす間柄を作った斎藤氏の手腕。これこそ「組織の三菱」と称される所以だろう。インフラ整備を急ぐタイは、“社会の進歩に貢献する”を社是とし、それを実践してきたMHIにとって、まさに天与の地か。(北川 宏)

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