タイの軒下を貸してもらっている感謝を忘れない
社長 勝田 正樹
《プロフィール》
1964年生まれ。大阪府出身。88年早稲田大学卒業、同年日本鋼管(現JFEスチール)入社、96年本社鋼材輸出部、2003年本社輸出企画部、09年総務室長、13年JFEスチールタイランド社長。現在に至る。
「タイの軒下を貸してもらっているという感謝を忘れない」
―現在の状況はいかがですか
政情不安を除けば、タイの経済成長は、若干の足踏み感はあるものの堅調に推移すると思います。ご存知の通り、タイは自動車、家電といった製造業の大集積地です。今後も海外投資を含め、極めて順調に発展していくでしょう。少し、先に目を転じれば2015年のAEC(ASEAN経済共同体)発足がタイにとってのエポックメーキングとなることは間違いなく、ヒト・モノ・カネが自由に往来できるようになります。高度なサプライチェーンを保有するタイにとって、条件が同じであれば、ASEAN域内でより優位に立ち、輸出基地として重要拠点になることは間違いありません。
現実的に、自動車メーカー各社は、タイにおける年間生産能力を現在の約250万台から300万台に引き上げることを目指しています。この先、産業素材である鉄鋼需要が増えることは確実です。
―タイへの進出歴は長いですね
弊社がタイに拠点を設けたのは1968年で、外資の鉄鋼メーカーとしては最も早い進出でした。昨年は、タイ国で初となる自動車用の溶融亜鉛鍍金(ようゆうあえんめっき)工場「JFEスチール・ガルバナイジング・タイランド(JSGT)」を稼働させました。 ここで生産される鋼板は、ボディ等に使用される自動車用鋼板であり、優れた加工性、美麗な表面品質、プレスに耐えるメッキ特性等厳しい品質が要求され、世界的に見ても供給できるメーカーが限られている高級鋼板です。JSGTの稼動により、現地調達を求める自動車メーカーに部材を安定供給できるようになりました。―タイの鉄鋼業界は、内外にライバルがいます
JFEグループとしては、多くの事業会社を保有し、そのなかで弊社はROH(地域統括会社)という位置付けです。ただ、役割としてはグループ会社をピラミッド型で統治するヘッドクオーター的な存在ではありません。そもそも、JFEは進出すぐにタイ最大の鉄鋼メーカー、「サハビリアグループ」と提携し、タイコーティッドスチール社、タイコールドスチール社を合弁会社として立ち上げ、協力体制を構築してきました。 おかげで、タイ独特の商習慣といったローカルルールや、鉄鋼市場にかかわる有力なコネクションを得ることができました。これこそが、当地における弊社グループ最大の強みと言っても過言ではありません。―パートナーが明日のライバルにはなりませんか?
研究開発を一層強化し、お客様の新たなニーズを的確に織り込んだ新商品を投入し続けていくことが、弊社の競争力を保持・向上させる方策だと考えています。今般、稼動させたJSGTも自動車用鋼板では、最高レベルの商品を現地で供給していくものです。タイで扱う約8割は、高級鋼と呼ばれる最新鋭の技術によって生産された高級鋼材です。鉄鋼製品は、自動車・家電製品、缶詰や飲料缶といった、さまざまな用途があり、扱う製品の特徴に応じて、単独またはパートナーとのジョイントで製造するかを使い分けています。大事なことは、お客様が求める期日までに、高品質な製品を安定して届けることです。
―初の海外赴任と聞きました
昨年4月からですので、ちょうど1年が経過しました。その前は、本社の総務部総務室長を4年、それ以前は、営業畑でした。職歴からすれば、サプライズ人事が続いている感じですね。タイへの辞令は、まさに青天の霹靂でした。ただ、駐在経験はなくとも輸出担当の営業だったので、出張ベースではタイに何度か来たことがあります。それに、総務室長時代はJFE全体の予算に関わる仕事をしていたので、むしろ現地法人トップの方が扱う金額は少なくなったかもしれません。
プライベートでも、タイは住みやすく、日本との相性の良さを感じます。子どもが大きく単身赴任のため、少しさびしいですね。家族が遊びにきた際に、タイの魅力を感じてもらって「タイに住みたい」と言わせようと試みましたが、失敗に終わりました(笑)。
―今後の展望は? この原理原則を忘れずにいたからこそ、これまで順調にビジネスができ、また、先見的な投資の決断を素早くできたのでしょう。いまや、弊社グループの海外売上比率は全売上の約5割に達しています。AEC発足後は、ASEAN域内でのタイの位置付けを改めて考え、さらに貢献できるよう企業努力を続けることが、私のミッションです。 編集後記
国力のバロメーターと言われる鉄の生産量。現在は中国がナンバーワンだが、自動車、家電に使われる高級鋼市場は日本が占有する。鉄鋼業界を驚かせた合併から10年。鉄鋼需要増が続くタイで、初の高級鋼材工場を稼働させたJFEスチールは、常に時代の一歩先を見据えた決断力が強みだ。自身の人事を「青天の霹靂」と語った勝田氏。赴任から1年が経ち、同氏の頭には「タイ経済発展への貢献」という国の未来が描かれていた。日本経済を牽引してきた「鉄屋」だからこその大局観。(北川 宏)