出来るだけ早くタイ人からトップを輩出
COO 西村 隆寛
《プロフィール》
熊本県出身。1972年生まれ。1996年ファーストリテイリング入社。店長、エリアマネジャー、ブロックマネジャー、店舗監査等を経て、2010年現職、現在に至る。
「出来るだけ早くタイ人からトップを輩出します」
―2011年のタイ進出から、3年目を迎えました
弊社は9月〜翌年8月を事業年度とする「8月期決算」なので、今期はちょうど第2四半期を終えたところです。業績についてはご承知のとおり、バンコク都心部の店舗が、多少デモによる影響を受けていますが、ほぼ計画通りに推移しています。幸い昨年、パタヤ、チェンマイ、プーケットといったバンコク以外の地方都市に出店できたことで、影響を最小限に食い止めることができました。出店当初、バンコク以外で“ユニクロ”が受け入れられるか懸念はありましたが、現在は順調に売上を伸ばしています。―出店計画も順調のようですね
進出初年度が4店舗、2年目で10店舗、現在14店舗ですが、けっして早くはないと思っています。出店エリアを拡大することで、早くタイ全土の人たちに“UNIQLO”の良さを知ってもらいたいと思っています。今後もまずは都市部での出店をさらに加速させ、近い将来にはEコマースも開始したいですね。―3年が経過し、浸透度の手応えは、どのくらい感じていますか?
インターネットによる調査では、バンコク中心の人たちで7〜8割の人が“UNIQLO”の名前を知っていると答えています。この数字は、東南アジアの中で、タイよりも先に出店しているシンガポールやマレーシアと同水準なんです。思った以上に浸透しているのではないかと感じています。―タイ経済が若干、後退傾向にあるようですが
そういったニュースはありますが、今のところ店舗への影響は感じません。前年と比較しても、一人当たりの購入点数も増えています。ただ、ブランド認知の高まりに対して、まだまだ商品の品質=良さが伝えきれていないのが残念であり、今後の課題ですね。ユニクロのポロシャツは、790Bします。正直、タイの街中で売られているポロシャツよりも高い。これからは、速乾性や素材といった商品の付加価値を伝え、品質の良さを浸透させたいですね。 今年は、春夏商品をより知って頂くためにブランドブックを配布したり、ファッション誌での商品の紹介、また日本で流れているCMをバンコク都内のBTSやオフィスビル内のモニターで流すなど、PR手法を刷新しました。
―旗艦店を出す計画は?
ぜひ実現したいですね。今後の出店も、バンコクが中心となるのですが、なかなか我々の出店できるスペースを確保できないのが現状です。 現在、フラッグシップ店のオープンに向け候補地を検討中です。BTSやMRTの拡張による、日本ではお馴染みの小型店や駅ナカ店の出店の可能性など多面的に探っていきたいと考えています。―立ち上げから携わっていると聞きました
正直、海外希望は出していませんでしたが、初の海外赴任とユニクロ・タイの立ち上げという2つのチャンスをもらいました。ただ、弊社では「全員が海外に出てグローバル人材に成長する」という柳井正会長兼社長の方針がありますので、心のなかでは覚悟していました。 苦労はしていないとは言いませんが、心配していた人材採用もスムーズにでき、当初から将来の店長候補など優秀な人材を揃えることができました。ただし、実際の店舗が無かったので、特に顧客サービスに関しての現場教育が難しかったですね。日本には、ディズニーランドや一流ホテルがあり、“サービスの見本”を間近で感じることができますが、タイではそういった場所は少なく、結局、日本に全員連れて行き、日本のユニクロで一ヵ月間研修しました。今では、最初に採用したメンバーの中から、この春より複数の店舗を管理するタイ人初のエリアマネージャーが誕生したことは、うれしかったですね。
―現地化も夢ではない?
弊社は完全実力主義なので、明確なビジョンを立てやすいと思います。まずは「店長」になってもらいたいと、社員全員に話しています。弊社では店長を経験しなければ、意味がありません。店を理解することで、売上、人材、商品といったあらゆる管理・運営業務がマスターできるんです。一国一城の主となり“経営”を知るということが重要なのです。できるだけ早く、タイ人からトップを輩出したいですね。―ユニクロ・タイランドとしての基盤は構築できたようですね
トップとして感じるのは、経営者は常に結果を出すことが求められているということです。コミットに対し、いかに結果を出すかが重要なのです。トップとなり、人材を育成し、組織を構築するという経験は、私の視野を大きく広げてくれました。後継者へのバトンタッチを果たした後は、別の国で再度、立ち上げに挑戦したいですね。編集後記 もはや王者の風格さえ漂う「ユニクロ(ファーストリテイリング)」。日本のアパレル不況、どこ吹く風といった勢いで世界進出を続ける同社には、柳井正社長の理念が根付いている。早くからグローバル企業を目指し、社内公用語を英語としたことは周知の通り。海外志望ではなかった西村社長が「別の国でも立ち上げたい」と志向を変化させる姿からも、柳井イズムの片鱗が伺える。日系企業が抱える現地化という課題を、立ち上げから数年で実現間近とする手腕は強者たる所以か。(北川 宏)