タイ初のリトルリーグ球団で
“世界一”を目指す


遠くからでもその存在を感じる屈強な出で立ち。けれど、ひとたび言葉を
交わすと分かる、気さくな人柄と懐の深さ。タイで唯一のリトルリーグ球団
「Bangkok Thunders(以下サンダース)」監督・青山さんの想いを尋ねました。

 

「何よりのリフレッシュ方法はグラウンドに立つこと」と話すのは、根っからの野球好きである青山さん。信条は文武両道。韓国・台湾というリトルリーグのアジア二強を破り、アジア選手権優勝。そして“世界一”を目標に掲げています。

青山さんがタイで暮らし始めたのは、大学卒業後の1989年。もともと海外志向であり、就職先として決まったのがタイの企業でした。当時のタイは、野球をする環境が全く整っておらず四苦八苦。その時に出会ったのが「ミネべア(現ミネべアミツミ)」常任理事の榊原氏。野球好きの彼と意気投合し、1992年に創設したのがタイアマチュア野球連盟(現タイ野球連盟)とクラブチーム「Japanese Baseball Club」でした。その後、成長過程の子どもたちに野球の楽しさを教えたいと、リトルリーグ球団 「サンダース」を2001年に立ち上げました。

結成当時のメンバーは8人。タイ野球連盟を立ち上げて9年とは言え、まだ野球ができる環境は少なく、自分たちで草をむしり、土を整備し、フェンスを用意して……1カ月ほどかけてグラウンドを完成させました。また当時は、野球道具が手に入らず苦労したこともあったのだそう。そんな時に寄せられたのが日本や台湾からの寄付金や野球道具でした。現在は10団体以上、いろいろな企業や関係者の援助に支えられ、感謝の気持ちでいっぱいと青山さんは言います。

どんな些細な言葉でも
子どもたちに掛け続けています

チーム結成後、初めての大会では全てコールド負け。そこから2年がかりで、強豪と言われる相手にも勝てるまでに。去年のアジア選手権では、韓国に2対0で惜敗した末、銅メダルを獲得しました。
「『大差で負けるだろう』と周囲に思われている中での惜敗です。少しずつ、世界のレベルに近づいています」と、青山さんはチームの成長を実感しています。

けれど、常に選手が入れ替わるのが駐在員の子どもたちで構成されたチームの宿命。サンダースには、本帰国を迎える子どもたち1人ひとりに青山さんがノックをしながら、お互いの気持ちを伝え合う送別式があります。笑顔でお別れする子、泣きながら感謝の気持ちを伝える子、泣きじゃくって声さえ出せない子……その姿はさまざまで、時には青山さん自身が涙を流すことも。

「とても真面目で努力家な少年で、学校では成績1位。練習を休むのが嫌で、ケガをしてもグラウンドに立つような子がいました。真面目すぎてどこかで気持ちが折れてしまわないか逆に心配で。彼には『お前はすごい努力家だ。けれど、休む勇気も必要だぞ。ご両親もきっと心配しているから』と伝えました。彼はその言葉に泣きじゃくり、私ももらい泣きしました」。

現在の練習場は、アユタヤにあるミネべアミツミ社裏のスポーツフィールド。毎週変わらず、青山さんはグラウンドに立ち続けます。そんな青山さんの活動が少しずつ実を結び、球団立ち上げ時から比べると、タイの人たちの野球への興味・関心はじわじわと増加中。

「野球をやりたい子がひとりでもいれば、サンダースはずっと続いていきます。タイの子どもたちが、その辺りでキャッチボールをするようになったら、うれしいですよね」。思い描く未来が現実になる日も、きっとそう遠くないはずです。

国籍・性別・年齢の枠を越えたチームのメンバー。元気いっぱいにグラウンドを駆け回る

 


PROFILE
青山 功 Isao Aoyama
リトルリーグ球団「Bangkok Thunders」創設者・監督。1967年生まれ。山梨県出身。在タイ28年。「Superman Foam Industry Co., Ltd.」 に勤めながら、週末は監督としてグラウンドに立つ。タイのU-15、U-18の代表監督も兼任。タイ人女性と結婚し、長女と双子の姉妹の5人家族。好きな言葉は「夢進(むしん)」。

 


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毎週土日9:00〜17:00に練習。対象は小学1年〜中学3年生。
卒団生は東京大学、京都大学はじめ有名大学への進学や野球進学にて、
甲子園経験者を多数輩出している。
[問い合わせ]
E-Mail:info@bangkokthunders.com
Website:www.bangkokthunders.com

 


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