“松下幸之助”の理念を貫きタイの発展に貢献
社長 タイ 社長 安尾 典之
《プロフィール》
1958年山口県下関市生まれ。84年大阪大学大学院工学研究科修了。86年松下電器産業(現パナソニック)入社、2004年テレビ事業部宇都宮工場長、05年欧州(チェコ)テレビ製造会社社長、10年本社環境本部GM、12年パナソニック・マネジメント(タイランド)社長、現在に至る。
「創業者“松下幸之助”の理念を貫きタイの発展に貢献します」
―今期(2013年4〜14年3月期)の業績はいかがですか
パナソニックグループとしてタイでの事業範囲は、販売と製造の両方があります。タイ国内販売の方は、前年度に比べ、今期はほぼ横ばいで、当初計画よりも若干上回っている状況です。製造拠点としては、プラズマテレビの終息や、昨年後半から自動車関連事業がやや減速していることも影響し、若干マイナスになりました。―グループ内での役割は?
現在、タイには製造12社、販売4社ほか、計21社のグループ企業があります。カントリーヘッドクォーターという位置付けで、グループ全体のブランドマネジメントやサポート、ガバナンス面を担当しています。―景気後退で消費者の買い控え行動が懸念されています
影響は出ています。特に、昨年から続く政情不安も重なり白物家電や大型テレビなど思っていたよりも伸びなかったですね。ただ、今年はデジタル放送の開始やサッカー・ワールドカップといった好材料もありますので、政局が落ち着いてくれば、消費者意識にも変化が生じてくると考えています。 その他、昨今タイでも省エネ意識が高まってきています。弊社が得意とするエコナビシステムを搭載した白物家電(※省エネ性能の高さに加え、センサー技術とプログラム技術によって運転を制御することで、より高い省エネ効果を実現)の販売増にも期待しています。経済成長により中間層が増えつつあるタイは、今後も生活家電市場の拡大が見込まれます。―「地産地消」が進みつつあるようですね
製品によっては、マレーシアやベトナムといった近隣国の生産拠点からの輸入もありますし、逆にタイで生産する製品は、8割近くを輸出しております。弊社にとって、タイはアセアン各国や日本向けの重要な輸出拠点となっています。 一方で、新たな試みとして、パナソニックグループ内の技術や製品を使ったさまざまな分野でのトータルソリューション事業の開拓に力を入れております。例えば、弊社の得意としている冷凍・冷蔵技術を生かしたコールドチェーンなどを今後拡大し、食品製造から流通、加熱調理まで、トータルにソリューションを提案していきたいと考えています。―海外赴任は何ヵ国目ですか
2ヵ国目です。タイには2012年の1月1日から赴任しています。ちょうど洪水後で、そこからの復興に注力していました。タイの前は、チェコに05年〜10年までいました。当時、チェコはEUに加盟したばかりで、社会全体が急速に変化している状況のなか、プラズマ・液晶の薄型テレビ工場の立ち上げに従事しました。与えられたミッションは、年間10数万台だった生産を、一気に4倍に増やし、その後数年は、毎年100万台ずつ上乗せするという厳しい目標数値の達成です。当時は、プラズマテレビがフルHD化されて部品数が一気に増えた時期です。2000人いた従業員は最大7000人まで増えました。とにかく、人材を集めるのに苦労しました。 工場があるのは、ピルゼン市というビールで有名な街ですが、チェコ第4の都市とはいえ人口17万人の規模の都市で、工場では深刻な労働者不足になりました。人集めはポーランド等周辺諸国からでも間に合わず、最後はベトナム、モンゴルといったアジアからも2000人近くの契約労働者に働いてもらいました。さながら工場内は、“人種のるつぼ”で、海外でのマネジメントの難しさと辛さを一気に味わい、まさに激動の時期でした。―チェコでの経験がタイで生かされているわけですね
花王の元会長の常磐文克氏が書いた「モノづくりのこころ」という経営哲学書を読み、助けられました。そこに書かれていた「Quality Begins with People」という言葉にすがり、乗り切ったのを覚えています。チェコ時代から比べるとタイは、非常に住みやすく、駐在員としてもビジネスがしやすい環境が整っています。 まだまだ成長の余地がある一方で、をかいてしまえばそこでストップしてしまうので、チャレンジ精神を忘れないよう心がけています。―今後の目標を聞かせてください
ここ数年、パナソニックは非常に厳しい状況下におかれ、大きな構造改革を繰り返してきました。 我々の強さは、創業者である松下幸之助の経営理念を共有したメンバーの集合体であることです。私は、創業者が残した「素直」という言葉が大好きです。「素直な心とは何物にもとらわれずに物事の真実を見ようとする心(松下幸之助)」。何があろうとも、創業者の言葉を忘れず、私心にとらわれずに社会(タイ)に貢献していくことがパナソニックの使命だと思っています。
編集後記 1950年代後半、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が「三種の神器」と言われた。経済発展で中間所得層が急速に増えるタイには、かつての日本の姿がある。「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助翁は「事業は人なり、モノをつくる前に人をつくる」を理念にしたという。「地獄の日々だった」とチェコでの日々を、笑いながら振り返る安尾氏は、まさに同社の“人づくり”を経験した一人。世界の家電メーカーがしのぎを削るタイで、松下門下生による手腕に期待したい。(北川 宏)