“ミィ” 泰のビジネスを学ぶ BNK48大久保美織の挑戦

長谷場:前回まではアジア通貨危機とその時に日本が支援したことが現在のタイの親日の一つの要因になったという事を説明しました。

ミィ:え? タイは、ずーとっ親日だったんじゃないんですか?

長谷場:実はそうでもないんですよね。特に1970年代はかなり反日だったんです。

ミィ:うわっ、知りませんでした。

 長谷場:1970年代前半には日本製品不買運動というのがありました。

ミィ:キツイですね・・・・。

長谷場:また、1972年にはある日本人がキック・ボクシングのジムをバンコクでオープンしました。タイの国技のムエタイよりキック・ボクシングが優れているという趣旨の発言をしたことがタイ人の反感を呼び、デモ隊が押し寄せガラスが割られたりしたことがあるんです。

ミィ:ひー、そこまで嫌われてしまっていたんですか。今では考えられませんよー。

長谷場:こういったことが起こった背景として日本との間でタイの貿易赤字が巨額だったということが挙げられます。

ミィ:貿易問題で関係が悪化?

長谷場:貿易というのは国を超えたモノやサービスの売買です。そのため、2国間だけを見た場合、大体どちらかの国が赤字でどちらかの国が黒字になります。例えばタイが日本から買った総額が、日本がタイから買った総額より多ければ日本の黒字、タイの赤字になります。

1970年代前半は大幅な日本の貿易黒字、タイの大赤字だったのです。

ミィ:日本が儲けすぎていると。

長谷場:はい、ただ日本から輸入しているモノの内訳を見てみると「機械機器」が約半分を占めているんです。これは、一般的に農業国が工業国化していく過程の特徴なのです。工業化しようとすると、最初にモノを作るために機械が必要です。

ミィ:なるほどですね。機械を輸入して、輸出するモノを作ろうとしている段階で、輸出するモノがまだないわけなんですね。

長谷場:そうなんです。どうしても国が工業化する過程では貿易赤字になりやすいんです。

ミィ:それって、先行投資なので仕方ないのでは?

長谷場:ただ、それにも限度がありまして・・・。1970年代のタイの対日貿易赤字はひどかった。どのぐらい赤字だったかというと、タイが世界中との取引(貿易)で出た赤字の半分以上、特に1972年は8割以上を日本との貿易での赤字が占めていたんです。これは、例えばミィさんが200人の人たちと売買したら100億円の赤字になった。でも、そのうち80億円は特定のAさんとの取引が原因だった。しかも、何年もそれに近い状況が続いている、ということ。

ミィ:それなら、Aさんとは取引を辞めようと。

長谷場:このため「タイが貿易赤字で苦しんでいるのは日本のせいだ」と説明するとわかり易いですし、そう理解したタイ人が多くいたこのことが反日のひとつの原因となっていたようです。

ミィ:事実をちゃんと理解しないで、わかりやすい敵を作るのは危険ですね。

—次週に続く

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