長谷場:前回、田中総理の訪タイの時の状況について説明しました。実は田中総理は同時期にインドネシアにも行ったのですが、同じく反日デモがあり大暴動に発展してしまったんです。
ミィ:インドネシアでも?! 日本ピンチ!
長谷場:「このままではマズイ」と気付いた日本政府はこの時の反省から福田赳夫総理大臣がアジア歴訪をした1977年に福田ドクトリン(別表)という政策を打ち出したんです。これは「(以前の利益追求型を変更し)これからは東南アジアの国々は対等なパートナーとして相互依存していく」という立場の表明で東南アジア外交の転機といわれているんです。
ミィ:いいですねー。今風なカンジがします。
長谷場:こういった日本側の努力に加えて、1970年代後半になると、隣国のカンボジアで極端な共産主義を掲げるクメールルージュが台頭してきて反日どころではなくなった事。また、貿易赤字が少し改善してきたという事、さらに日本人のタイ人に対するマナーも改善してきた事もあり、反日運動は収まったと言われています。
ミィ:めでたし、めでたし。良かったぁ。
長谷場:現代を生きている我々には歴史を知り、教訓とすることができます。その意味で、タイで生きる日本人ビジネスパーソンとして理解しておかなければならないのは、「我々(日本人)はタイという他人の土地でビジネスを“させていただいている”」ということです。そういう気持ちがあれば、逆の立場に立って「日本で外国人がこんな態度をとったら嫌だな」ということは自然としなくなると思います。また、タイ人に対して傲慢な態度になることもないでしょうし、余計な摩擦を生むことを減らせるのではないでしょうか。
ミィ:謙虚さが大切です。
長谷場:今のタイの親日はこれまでの日本人が築いてくれてきたもの。その関係をこれからも発展させていい関係でいられるようになるといいですね。その意味でBNK48の活躍に期待しています。
ミィ:任せてください、責任重大です。それでは皆さん、日泰友好、貿易摩擦解消のためにCD買ってくださいね。えへへへ。
長谷場:コラー。あっ、でも私からもCD購入お願いしまーす!!
—次回からはこの時の日本製品不買運動などの流れから生じて、現在も日本企業を悩ませているタイ企業の保護政策について解説します。
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