長谷場:ミィさんは世界銀行って、知っていますか?
ミィ:世界銀行? ウラで世界経済を牛耳っているというアノ世界銀行・・・
長谷場:・・・・・・。マンガの世界ではなく、現実に世界銀行という銀行が存在しています。
ミィ:え? 本当にあるんですか?
長谷場:はい、第2次世界大戦後の1946年に活動を開始した国際機関で発展途上国の開発プロジェクトへの融資などを行っています。実は、日本も53〜66年の間に31のプロジェクトのためにお金を借りていました。発電所や製鉄所、高速道路、東海道新幹線の整備にも世界銀行から借りたお金を活用したんです。そして借りたお金はなんと90年7月まで返し続けていました。
ミィ:えー。そうなんですね。日本もお世話になっていたのですか。
長谷場:そう。その世界銀行ですが特定の国に対して「こんな改善をしなさい」という勧告を出すことがあります。タイに関して57年7月から調査した結果が59年に発表されました。
その中で、タイ政府に対して①貿易収支の改善(貿易赤字が大きいので減らしましょう)、②マーケットメカニズムの活用(民間企業に活躍してもらいましょう)、③政府収入の確保、④公共事業の推進、といったことを行いなさい、という勧告を出しています。
ミィ:BNKのコンサートに行くようにも・・・。
長谷場:そんな勧告はしません!(笑) えー、この勧告を契機にタイ政府は民間主導型の工業政策を推し進めるため「産業投資奨励法(1960年)」を制定しました。この法律は何回か改訂されて72年に投資奨励法が制定されるまで、外国企業導入政策の中心となり成果をあげていきます。
ミィ:どんな内容だったのですか?
長谷場:詳しくは3点です。次の表のようになっています。
この法律は外国企業に対して開放的だったんです。1960年代はベトナム戦争の影響でタイ経済が潤っていた、物価や政治が比較的安定していたこともあり、多くの外国企業が進出してきました。タイ側に余裕があった時期なんですね。
ミィ:追い風が吹いていたと
長谷場:しか~し! タイの反日のところで勉強してきましたが68年ごろから少し様子が変わってきてしまいます。外資(特に日本)に対する反発から経済ナショナリズムが強まって、「外資は選別したうえで活動を制約する」という方向に進み始めます。70年ごろからはタイ側資本比率の増加指導(日本とタイの合弁会社の場合、タイ側の出資割合を引き上げなさいという指導)も行われるようになり、その流れを受けて72年に投資奨励法が制定されました。
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