失われた身体の一部を甦らせる。そんな義肢装具士として、
「タイ義肢財団」を支えるのが國吉晃代さん。明るく飾らない彼女の元で
学んだ生徒たちが今、タイ国内 80を超えるエリアで製作に励んでいます。
國吉さんが義肢装具士の道を選んだのは、大学時代に参加した地雷排除の講演会がきっかけでした。
「地雷によって身体の一部を失った人たちが強く心に響きました。その人たちが義肢を使ってその後の生活を送っていることを知り、専門技術を学びたいと純粋に思ったんです」。そんな國吉さんが、チェンマイを拠点に活動する「タイ義肢財団」に加わったのは、2005年。タイの義肢装具士の知識及び技術向上を目的とした日本のプロジェクトに手を挙げ、チェンマイへと派遣されました。
ともすれば、義肢は必要とされない方が幸せなこと。けれど、國吉さんが日本で勤めていた製作所は営利企業。当然ですがモノを売って利益をあげることが求められる世界だったと、当時の葛藤を口にします。そんな想いがあったからこそ、プロジェクトへの参加は転機となりました。
現在勤める財団では、主に義足を製作し、必要とする人たちへ無償で提供。加えて、義足製作を指導する“学校”としての役割も担っています。その中で國吉さんは2年間、プロジェクト要員として勤務。派遣期間終了を前に、「ここでもっと働きたい」という想いが芽生えます。
「義足が必要な人のもとへ無償で提供する。ここは、精神的にも身体的にも、自分が気持ち良く働ける場所だ」と、財団に残ることを決めました。
卒業してからが、始まり。
ずっと見守っていきたい
「製作に携わる一方で、5カ月の短期講習コースで教鞭を執る國吉さん。生徒は、高校卒業後から40代後半までとさまざま。「5カ月で学べるのは、本当に基礎の基礎。生徒たちが卒業後に、授業で習っていないことに直面するのは当たり前。卒業後が本当の始まりですし、経験を積むことで成長していくんです」。
授業で繰り返し伝えるのは、「自分で触って、感じて」。手順や数値など、義足を作るための基本的な公式はあるけれど、それは最低限の土台。人が十人十色であるように、義足や義手も決まった形はありません。体型、骨格、生活スタイル……目の前にいる人を感じて、その人に適した義肢を作り上げていくのだと。
「私はあくまで製作者で、日々義肢を使うのは切断者の方々。彼らが不快に思うものを押し付けては意味がありません。気持ちよく使ってもらうために、使用者の声に耳を傾けることを、何よりも大切にしています」と、瞳に力を込めます。手触り、曲線、凹凸……触って、感じて、そのすべてが技術に繋がっていきます。
一方で、指導はタイ人だけに留まらず。TICA(タイ国際開発協力機構)の支援により、ブルンジ、セネガル、ミャンマー、バングラデシュといった国外研修生の受け入れを実施。また、時にはタイ各地を訪ねて義足を届けたり、研修を行ったりすることもあるのだそう。
「資金がなく義足を買えずに歩けなかった人が、何十年かぶりに歩けるようになった姿を見られることがうれしいです」。
気づけば、財団に勤めて丸12年。他の職員から一目置かれる立場なのではと問うと、「とんでもない!」のひと言。
「日本人の技術者がタイに来ると、上に立つ指導者と思われがちですが、私は職員のひとりです。この道30年以上の大先輩もいますし、教わることもたくさんあるんです」と國吉さん。そうして今後も、誰かの人生を支える義足を作り、その技術を伝え続けていくのです。
国際研修を通してさまざまな国の人たちに技術を伝える
國吉さん(写真は2013年)
PROFILE
國吉 晃代 Akiyo Kuniyoshi
1976年、愛媛生まれ。津田塾大学英文学科卒業後、国立身体障害者リハビリテーション学院・義肢装具学科を卒業。都内の義肢製作所にて勤務。2005年からプロジェクト要員として「チェンマイ義肢財団」に派遣。08年から直接雇用契約を結び、現在に至る。夫と2歳の息子の3人家族。リラックス方法は、カフェでまったりすること。
タイ義肢財団
義足を無償で提供します
故シーナカリン王太后の庇護の下、1992年に創設。主に義足を製作し、国籍、宗教にかかわらず義足を必要とする人に無償で提供している。TICAによる国外研修生の受け入れも行っている。
[問い合わせ]
Website www.prosthesesfoundation.or.th(タイ語・英語)
編集部より
「義肢使用者を技術者に」という考えを持つ同財団では、所属する技術者の約半数が義肢使用者。訪れた人が義肢装着や今後の人生に不安を感じた時、「大丈夫。私もそうだったよ」と笑って言える強さを、彼らは持っていました