創刊600号

 

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タイには約10万人の日本人が暮らしていると言われ
登録ベースでは英国、カナダを抜き、世界4番目。
そして中国の約13万人を抜いた時、日本人コミュティの存在は?
生活、ビジネス、情報を司るトップ3人が、次なる未来を語る。

 

現在、タイには約7万人(登録ベース)の日本人が住んでいます。各自の立場から見た日本人コミュニティの変遷について教えてください

西岡: 「週刊ワイズ」は2003年11月、バンコク初の日本語週刊フリーペーパーとして創刊しました。その後、15年間(前身の週刊ベイスポバンコクを含む)欠かさず発行を続けています。当時、すでにタイには、多くの日本語フリーペーパーが存在し、我々は8番手でした。それでも、「在タイ日本人の生活を有意義に、そして豊かになる情報を、週刊という早いサイクルで届けることで、必ず読者から求められる媒体に成長するはず」との思いだけで創刊したのを覚えています。

あれから15年。日本で紙媒体は減少傾向にありますが、逆にタイでは約20誌に増えているんです。それだけ、日本人が増えている証拠ですね。創刊時のトップニュースは、日本のスポーツや芸能といった日本のニュースでした。当時は、インターネット環境も悪く、とにかく日本の情報が求められる時代でしたね。

ところがご存知の通り、今では日本の情報は、インターネット(スマホ)からタイムリーに得られます。当然、週刊ワイズの内容もタイのローカルニュースのほか、ワイズでしか読めない価値の高い独自コンテンツが求められています。

ネットの普及・浸透によって、得られる情報量は格段に増えました。同時に、日本国内でも、経済的に目覚ましい発展を遂げる東南アジアのニュースを多く流すことで、日本人の持つ価値観も変わりつつあるようです。それまでタイに住む大部分が駐在員(一部ロングステイ)でした。ところが、タイを含めた東南アジアの成長と可能性を知った世代が、シュリンクする市場や閉塞感のある日本を出て、タイで起業あるいは転職(キャリアアップ)を考え、移住するケースが増えてきたのです。最近では、タイの医療・教育面の充実を知ることで、子どもの将来を憂い、家族で移り住む方もいます。

つまり、ネットの台頭のみならず、3年〜5年といった期限付き(駐在員)で住む日本人から、自らの意志で移住を決める邦人が増えたことで、自ずとワイズに求められる情報ニーズも変化しています。そうした意味で、創刊当時とは、日本人コミュニティは大きく様変わりしたのを感じています。この流れを最もご存知なのが、日本人会の島田会長ではないでしょうか。

島田: 週刊ワイズが創刊された2003年の在タイ日本人数は、2万5000人です。それから、05年(3万2000人)、10年(4万5000人)、15年(6万4000人)と右肩上がりに増えてきています。08年にはリーマンショックもあり、日本経済も大きく沈みました。ところが、この時もタイに住む日本人は増えているんです。つまり、それだけタイという国(場所)が日本企業にとって重要かつ、すでに産業集積化され、タイのマーケット+輸出という両面で、切っても切れない関係が構築されていたということですね。さらに、タイでは経済成長とともに産業構造も変わってきています。自動車や家電といった製造分野から、マーケットの成長でサービス業も増えています。

個人的な話ですが、初めてバンコクに駐在員として赴任したのは1990年でした。当時の日本人は1万5000人ほどだったと記憶しています。週刊ワイズのコンテンツが変わったように、タイに暮らす日本人の意識や情報源も劇的に変化を遂げました。赴任した当時の日本の新聞は1〜2日遅れで届いていましたし、日本語フリーペーパーも充実していません。当然、ネットの情報もありませんから、日本人会というコミュニティで得られる情報が本当に貴重だったんですね。日本人会という組織は、情報共有という場でもありましたが、ネットの普及やフリーペーパーの充実を経て、現在は会員同士の親睦にとどまらず、タイとの文化交流や社会貢献といった役割が中心となっています。情報を得るではなく、行事やクラブを通した親睦を深めると同時にボランティア活動を通したタイとの関わりなど、いかにタイ生活を有意義にするかといった点に重点を置くようになりました。

現在の会員数は約7000人です。ピーク時の9000人(05年)からは減りましたが、ここ数年は横ばいです。前述の日タイの交流や自己啓発・研鑽の場としてのニーズがあるからでしょう。昨年12月に開催した盆踊り大会には、日タイ合わせて約1万人が集いました。しかも、6割がタイ人です。日本人会の役割が日本人だけでなくタイ人からも期待されている証と受け止め、今後も色々な活動をして行こうと思います。当然、日本人の増加は産業発展(日系企業の進出増)が原動力です。

 

三又: 私は旧通産省(現経済産業省)に入省して30年が経ちましたが、恥ずかしながらこれまでタイにはご縁がなく、今回の赴任で生まれて初めてタイに参りました。現在、赴任して1年半が過ぎたところです。JETROバンコクは世界で70カ所以上あるJETROの海外事務所の中で最大規模です。そこに、タイの“た”の字も知らない人間が所長として務まるのかという不安を抱えていました。ただ、現在のタイを見ると、古くから進出する多くの日系企業が築き上げてきた礎の上に、ITなど多様なサービス業の進出も増え、新しい段階を迎えようとしています。だからこそ、素人みたいな人間がフレッシュな目で見ることにも意味があるのではと考えています。

西岡さんや島田さんが仰ったように、在タイ日本人の中に新たな考えを抱き挑戦する人たちが増え、日本とタイの関係が新しい時代に入ろうとしているのだと思います。企業進出の話に戻しますと、JETROの最新の調査では、現在のタイ進出日系企業数は5444社となっています。バンコク日本人商工会議所(JCC)の会員数は、現在1750社で、全体の1/3程度が加盟しています。アジアの中では恐らく中国に次いで多く、アメリカと比べるのが正しいかはわかりませんが、タイという国のサイズを考えると、世界の中で圧倒的に、日本との関係が大きい国だということは間違いありません。

過去の企業進出の動向をみると、前述の在留邦人数とも連動していると思うんですが、1997年の通貨危機時点で1回頭打ちとなり、2000年からの10年は、それほど伸びてないんです。00年(1165社)から10年(1317社)で152社が増えたに過ぎません。ところが、10年を過ぎてからものすごく伸びているんです。

例えば、13年(1371社)から、17年(1748社)の4年間で377社も増えています。先ほど島田さんのお話にもありましたが、中身がだいぶ変わってきているんです。これまで日系企業の中心だった製造業も伸びてはいますが、それ以上に製造業以外の新しい分野が大きく増えています。1990年代終わりから2000年代にかけては、日本企業の多くが中国へ進出し、工場を作りました。それが飽和し、中国との関係が難しくなったことや「チャイナプラスワン」の流れもあって、通貨危機以降、止まっていたタイ進出が再び増え始めました。ちょうどリーマン・ショック後からでしょうか。当時、洪水やデモ、クーデターが起きたにも関わらずです。その時期、私は中小企業庁にいたのですが、日本の中小企業の海外進出が大きな波となったのは、やはり2010年過ぎからです。

現在、日系企業の進出が停滞しているという印象を持っている方は多いようですが、実は、比較的小さな企業かつ製造業以外の企業が増えている。つまりは、在タイ日本人同様に中身が変化しているのです。

 

具体的にはどういった業種が増えているのでしょうか

三又: やはり、非製造業のウエイトが高まっています。事務所が入るビルの1階にJETROが運営するレンタルオフィスがあるのですが、現状の半数以上が非製造業です。10部屋あり、1社最大3カ月間を限度に貸し出しています。

最近の例でいうと、IT関連、物流関連、飲食店、美容室など、幅広い分野に拡大しています。それだけ、多くのポテンシャルがタイにあるという証拠ではないでしょうか。ターゲット層も当初は日系(日本人)を相手にしていましたが、現在はタイ人(ローカル)に広がってきていますね。

 

比較的若い世代が経営するIT関連企業の増加で、在タイ日本人の世代も若返っているわけですね

島田: 従来の既出日系企業の駐在員自体も全般的に若返っていると思いますし、大学を卒業して、タイでいきなり起業する方も多いです。転職でも、日本国内を選ばずタイで新たな会社を探す人もいます。(タイには)あらゆる産業、企業があることで、日本人の雇用機会も増えています。海外でチャレンジしようと思う人材が入りやすい国という位置付けになっているのかもしれません。そうした意味では、稀有な国となったのではないでしょうか。

ターゲット(マーケット)の変化については、日本人コミュニティの情報源だからこそ感じることがあるのでは

西岡: 三又所長が初めてタイにきて感じたことが、まさに現在のタイ・バンコクを表しているのかと思います。海外で、これほど日本語が通じる街があるでしょうか。医療(病院・歯科・薬局)、飲食店(約2800店の日本食レストラン)では、受付、メニュー、オーダーなどあらゆるサービス面で日本語が通じます。また、お子さんを連れた母親がベビーカーを押しながら、普通にスーパーで日本食の材料や生活雑貨を買い、歩いて家へ帰る。東南アジアの中には、日中でも外を歩けず、車での移動を余儀なくされる国もあります。

教育面でもそうです。世界最大級の日本人学校(約3000人)や、多くの日系幼稚園が隣接しています。選択肢の中には、教育理念の違うさまざまなインター校があり、受験対策をしてくれる日系の塾や予備校も数えられないほどです。これほど、日本人が住みやすい“外国”はないのではないでしょうか。

日系企業の進出増加が日本人コミュニティを大きくし、日本人向けサービスが充実しました。同時にタイ経済を押し上げ、市場そのものを拡大させました。すると、今度は新たなマーケットを狙った日系企業や起業家、あるいは既存企業への転職を希望する優秀な日本人が増えていきます。前述しましたが、タイの先進的な医療サービスを求めて日本からわざわざ出産をする人、あるいは子どもの将来を考え、選択肢の多いインター校に通わせるために移住する日本人両親もいます。起業だけではありません。弁護士、会計士のほか、その道のプロフェッショナルがキャリアアップを求め、グローバルな世界、中でも世界が注目するアジアへと活躍の場を移すための入口として、住みやすいタイを選ぶ人もいます。当然、長年住む日本人も多く、あらゆる目的、世代の日本人コミュニティが形成されています。

創刊して15年。だからこそ、週刊ワイズも日本人コミュニティのマス媒体として、情報を発信しつつ、新たな世代(駐在員ではない方々)に合わせた情報伝達の仕組みに挑むつもりです。デジタル化もその一つで、タイを中心としたASEANをつなげるメディアを目指していきます。

ただ、残念なのが、タイがこれだけ日本人にとって生活環境が整っていて、住みやすくて働きやすいという事実を知らない日本人が多くいることです。そこで、今後、週刊ワイズはそんな人たちに向け、タイの現状を周知していくと同時に、タイを登竜門としてアジアで活躍する日本人を後押ししていきます。在タイ日本人が現状(未登録者を含めて10万人以上と呼ばれる在留邦人)の倍の20万人に増えることで、タイがグロ−バルな日本人を育成するハブとなるのではないかと考えています。

お二人はいかがですか

三又: 決して非現実的な数字ではないと思います。少子高齢化とはいえ、日本人は未だ1億人以上いるわけです。タイの登録ベースでは7万人ですが、実数では10万人以上の日本人がタイで暮らしていると言われています。これは、日本の小中規模の都市のサイズです。

私は、日本でのメディアなど情報伝達において、タイの扱われ方が小さすぎると思っています。海外でこれほど大きな日本人社会はありません。日本の地方のニュースが大きく取り上げられることはあるのに、タイの日本人コミュニティが大きく扱われることは極めて少ない。タイは日本にとって「特別な国である」という認識のもとに、日本のメディアはタイの情報発信をしてほしいと思います。タイの現状や企業の進出だけでなく、タイでの“挑戦”を伝えることで、子どもの将来のために移住を考える若者や家族が増えるはずです。そうなれば、20万人という数字が現実味を帯びてくると思います。

これからのタイは、産業の高度化にかじを切ろうとしています。それがうまくいけば、日本の大学や企業がタイに研究拠点などを置く必然性も高まり、在タイ日本人の更なる増加にもつながるはずです。

島田: 仰るとおりですね。タイの日本人社会で生まれ、育ち、タイを中心にASEANで活躍する日本人が増えていけば、華僑がそうであったように、ASEANのあらゆる地域で日本人が根を張ることになります。優秀な人材(日本人)が増えれば、それだけ日本を牽引する人が増えることにつながります。20万人構想は遠い未来ではなく、テクノロジーが進化のスピードを早めたように、在タイ日本人も飛躍的に伸びるのではないでしょうか。

西岡: ありがとうございます。まさに“ゆりかごから墓場まで”という観点で言えば、いま日本でも新しい動きもあります。TGWA(Japan Thailand Golf & Wellness Association)という団体が立ち上がりました。この団体は、生涯スポーツであるゴルフを通して、日本人がタイで医療や介護サービスを受けながら、長期的に健康に住める環境を作り、提供するのが目的です。高齢化を迎えたタイでは、介護分野のサービスが増えていくと思います。

当然、高齢化社会の大先輩である日本のサービスが活躍する面も多々あるでしょう。逆に、日本人が1年中温暖な気候であるタイで、安心して暮らせる環境が整えば、前述の新時代の人だけではなく、いまの日本を支えた方々にとっても“住みやすいタイ”を享受できることにつながります。あらゆる日本人が住める場所を形成できるわけです。

一同: 20万人に向けて皆で協力していきましょう。

 

 

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