言わずと知れた在タイ日本大使であり、世界各国の情勢を
見つめてきた佐渡島志郎さん。多忙な業務をまっとうしながら自宅の
アトリエで描いていたのは、活気に満ちたタイの激しくも温かい風景でした。
絵を描くことに興味を持ったのは幼少の頃。医者を生業としていた叔父が、仕事の傍らで描く水彩画を見ていた影響が大きかったのだとか。自分の“描きたい”という想いに従い、独学で大学まで描き続けていましたが、絵のためにと出かけた山道で命の危険を伴う事態に遭遇。それ以降は、絵を描くことから離れていたと佐渡島大使は言います。
30年以上の時を経て、佐渡島大使を再び絵に向かわせたのは、タイ赴任前に暮らしていたバングラデシュでした。
バングラデシュは、ユニクロやZARAをはじめ、世界中からオーダーが集まる縫製大国。縫製工場の周りには色とりどりの布が積み上げられ、鮮やかな民族衣装を纏った工場勤務の人たちがそぞろ歩く さまざまな色が重なり合う、唯一無二の光景に強い刺激を受けたと、佐渡島大使は語気を強めます。
「まさに“色の洪水”でした。それぞれの服に一つとして同じ柄やデザインがないんです。目の前にある、鮮烈な熱気が渦巻く世界を描きたい衝動に駆られました」と、当時を振り返ります。
そうして描き上げたのが第2の処女作「ダッカの思い出」です。描き終えた後も創作意欲は収まらず、作品はどんどん増え続けていきました。
タイの手仕事は、世界に誇れる
すばらしいアートです
タイでも、その気持ちは変わらず。タイにいるからこそ、“タイらしい絵”を残したい。そう思って最初に描き始めたのが、タイ最大規模を誇る「クロントーイ市場」でした。初めて訪れたのは、来タイから1週間ほど経った頃。広大な敷地と肉・魚・野菜などが豪快に並ぶ光景、その活気溢れる様子に圧倒されたのだそう。
「大勢の人が集まる市場のエネルギッシュな空間が好きなんです。おばちゃんたちの元気な呼び込みや、煩雑に並んでいるように見えて計算し尽くされている構造。市場こそタイの食文化の中心であり、人々の営みがあると感じました」。
その熱量を伝えたいと筆を握り、「クロントーイ5連作」が生まれました。ひとつの場所の本質を伝えるために、いろいろな角度から表現したいという想いが、“連作”という形に繋がっています。
今取りかかっているのは、ヤワラートにある寺院の境内。「だいぶ苦戦中ですが、気分が乗って一気に描き上げられる絵もあれば、途中でつまづいたり迷ったりする絵もあります。閃くのを待つだけです」と、悩む時間も醍醐味のひとつというかのように、愛おしそうに話します。
そんな佐渡島大使は、タイのアーティストや作品にも精通。アート自体に造詣が深く、業務でタイの地方を訪れる際には現地のギャラリーに足を運ぶほど。世界的に活躍するアーティストを輩出するタイのレベルの高さに驚かされるとともに、タイ国内でのアートへの関心の低さにギャップを感じているのだそう。
タイでは、絵画はもちろん織物や刺繍、陶器など繊細さを要する手仕事が受け継がれています。国全体で彼らを支援する環境づくりや大規模なイベントがあると、タイのアートに対する認識も変わってくるのではないかと佐渡島大使は考えます。「近年は、瀬戸内芸術祭や大地の芸術祭など、日本を代表するイベントでタイのアーティストたちが活躍しています。その一端として、私も何かサポート出来ないか模索している最中です」。
タイの伝統的な人形劇「ジョー・ルイス」を色鮮やかに細部まで描いている
PROFILE
佐渡島 志郎 Shiro Sadoshima
在タイ日本国特命全権大使。1955年生まれ。福岡県出身。1977年、東京大学法学部卒業、外務省入省。ベトナム、オーストラリア、香港、バングラデシュ駐在を経て、2015年4月から現職に。趣味はゴルフ、映画観賞。タイで好きな場所は市場。バングラデシュでは40枚以上の絵を描き上げ、個展を開いている。
<在タイ日本国
大使館
今年は日タイ修好130周年
関連情報は大使館HP「日タイ修好130周年公式ウェブサイト」をご参照ください。
Website:www.th.emb-japan.go.jp/jt130
[問い合わせ・ご予約]
address:177 Witthayu Road, Lumphini
Tel:02-207-8500, 02-696-3000
編集部より
今回の取材場所である在タイ日本大使館で迎えてくれたのは、佐渡島大使が見てきたタイの欠片。ヤワラートの屋台、踊る女性たち、故プミポン国王…体温が感じられるような柔らかな印象は、佐渡島大使の人柄そのものだと感じました。