21歳の時、世界を旅する拠点として選んだのがバンコク。旅する資金を貯めながら
世界中を回り、タイ生活は足掛け49年。何にも縛られず、それぞれの国にスッと
馴染んで来た志井さんが、自分の定点として見つけたのが“剣道クラブ”でした。
「剣を交えると、それ以外の関係性が失くなり、一人の人間対人間になる。その真剣勝負が気持ちいいんです」。そう、剣道の魅力を話すのが、「タイランド剣道クラブ」の発起人である志井さん。タイ人・日本人剣士はタイ全土で約400人。自身が剣道を始めたのは42歳と遅咲きながらも、現在は6段を保持する高段者に成長。きっかけは、一緒に剣道ができる仲間を探していたウィタヤさん(現タイランド剣道クラブ会長)との出会いでした。
そこから志井さんは、「タイで剣道をやりたい人たちが集まれる場所をつくろう」と、1989年に「タイランド剣道クラブ」を創設。4人のメンバーとともに、ダンススタジオで稽古をスタートさせました。
「現在、剣道歴は28年になりましたが、ここまで続けて来れたのは初心者から一緒に始めたウィタヤと、家族の存在があったからです」と志井さん。日本人と外国人がひとつのチームには、さまざまな障壁があると聞きますが……?
「日本人は勤勉ですが、タイ人は大らか。日本人の考えを押し付けてはタイ人のペースに無理が生じる可能性もありましたが、私とウィタヤが同じ目線で進んできたからこそ、うまくバランスがとれてきたんだと思います。それに、私の剣道は“趣味の剣道”ですから、どちらかというとタイ人寄りの考えです。みんなが健康に、リラックスして剣道ができる環境があるのが一番です」と、想いを口にします。
剣道と家族。これだけは
ブレずに守り続けて来ました
そんな志井さんが意識するのは、タイ人とともに剣道を楽しめる環境づくり。日本では、面の取り外しや給水のタイミングなどを重んじます。常に猛暑が伴うのがタイ。こまめに面を外したり水を飲んだり、日本の風習に縛られないタイに適したやり方を提案しています。
同時に、「3年経って、初めて剣道になる」と言われる剣道の基本に重きを置いた稽古を実践してきました。現場の指導は、実力も経験も兼ね備えた後身に一任。2001年には、「クルンテープ剣友会」を創設し、日本人会に向けた剣道の場を提供。また、一番弟子のワンチャイさん(現タイランド剣道クラブ理事長)はエカマイに自身の剣道教室を立ち上げ、クラブ参加者であるタマサート大学講師のアートさんは、剣道サークルを作って学生たちに教えるなど、クラブから派生した新たな息吹を感じずにはいられません。
3年に一度行われるASEAN剣道大会では、タイ人選手の出場はもちろん、運営サポートも含め、クラブ一丸となって参戦。昨年の同大会では女子個人で優勝、男子個人で準優勝と3位、団体戦は男女ともに準優勝と、着実に力をつけています。本帰国したOB・OGも、大会の応援やサポートなど、ことあるごとにタイに帰ってくると志井さんはうれしそう。
「みんなが帰って来れる“核”があるのが重要なんです。駐在員の方が多いですが、タイにずっと暮らす人が剣道会の運営側にいることで、絶対になくならない場所になる。そうやってずっと繋げていきたい」と、力強く頷きます。
今後、自身が目指すべきは、7段への昇段と、剣道家憧れの地「全日本剣道演武大会」出場と宣言する志井さん。続けて、剣道を通して日本とタイの架け橋になるような関係性を深めていきたいとも。
「剣道は礼儀作法含め、日本文化がすべて詰まっています。剣道を通して、日本とタイが太い絆で繋がってほしい」。
バンコク日本人学校で行われる稽古の様子
PROFILE
志井 稔 Minoru Shii
1947年、兵庫生まれ。1969年、来タイ。89年、タイランド剣道クラブ創設とともに剣道を始める。2001年、クルンテープ剣友会創設。剣道練士6段。「Nippon Sangyo(Thailand)Co., Ltd.」President、「GLOW SPP 11Co., Ltd. Rayong, Thailand」Adviserなど複数の職務を持つ。趣味はロックギター。
クルンテープ剣友会
子どもから大人まで大募集!
バンコク・シラチャで稽古会開催
◎バンコク日本人学校
土曜15:30〜17:30
日曜14:30〜17:30
◎シラチャ日本人学校
土曜15:00〜17:30
入会ご希望の方、また詳細については下記WEBサイトまで。
[問い合わせ]
Website yojihamanishi.wixsite.com/bkkkendo
編集部より
今回の取材場所は、志井さんのご自宅があるコンドミニアム。稽古場だという屋上を覗くと、コンクリートの塀に竹刀の跡を発見。「屋上が“最高の師”であり、剣友会が“最高の教え”です」と志井さん。その晴れやかな表情に青春の文字が見えました