ドキュメンタリーを追求する写真家として、世界各国の“今”を切り取ってきた
奥野安彦さん。家族でチェンマイに移住して早13年。
映像ディレクターとして走り続ける現在地と、これからについて。
「私のことは知らなくても、“ランドセルの人”として認識しているタイ人が多いんじゃないですか(笑)」。日本各地、20以上を毎週紹介し続けて今年で3年目。ディレクター兼司会進行を務める『DAISUKI JAPAN』で奥野さんは、赤いランドセルに派手な眼鏡姿で登場します。理由は、覚えてもらえるから。
そんな奥野さんが、外国人観光客を日本へ誘致するインバウンド事業に取り組み始めたのは2013年。タイ人への北海道PRを行うコンペを見事に通過し、札幌市の紹介映像を20本ほど制作。その後、タイ人の北海道観光が加熱。2014年からは「DAISUKI SAMURAI JAPAN」という現在の番組の前身が始まり、今に至るのだという。
「番組開始当初は人気の観光地ばかり紹介してきましたが、ここ最近は年齢問わず多くのタイ人が日本旅行を経験してますよね。そんな人たちに、当たり前の情報を紹介しても意味がないと気づいて。もっと深く踏み込んだ情報を伝えていきたいと訪問先を変えていきました」。
それまでと大きく変えたのは、“日本の暮らし”に焦点を当てたこと。みんなが知りたい日本が変わってきているからこそ、飾らず、ごく普通の日本人が生活している家や食事、習慣──より内側の日本を伝えようと奮闘中です。「万人ウケする番組を作ってもしょうがないからね」と、奥野さんは小さく笑います。
写真を通して“世界と交流”し、
豊かな体験をしてほしい
本職は写真家。専門学校時代から本橋成一さんに師事し、27歳でフリーの写真家に。アパルトヘイト政策で注目を集める南アフリカに渡り、長野〜シドニーオリンピックまでは身体の限界に挑む選手を追い続けます。その後、写真集を発行。さて、次はどうする……。5年毎に写真のテーマを変えるという区切りに、友人から誘われたタイでの仕事。これが、第二の人生のスタートでした。
2000年当時、タイで蔓延するHIVの問題を日本に伝えたいと頼まれ、HIV感染の孤児を保護する施設「バーンロムサイ」の様子を撮影。それを機にアジアを題材にした映像番組の話が舞い込み、移住を決意。2004年のことでした。
移住から13年。日系企業のPR映像や教育ビデオ、記念誌制作など、多岐に渡る仕事を請け負う奥野さんが、業務外で2013年から関わっているのが、タイと北海道を繋ぐ「天河高校生写真コンテスト」です。東日本大震災で多くの支援をくれたタイに何かできないかと考えていた時に、知人を介して関係者と縁が繋がったと言い、奥野さんはタイの高校生を対象にした予選の審査員・会長としてイベントをサポート。その後、北海道・東川町で開かれる「高校生国際交流フェスティバル」に参加する優勝者を、コーディネーターとして連れて行きます。
「写真を通して世界中の人たちと交流を深めてほしいですし、何より広い世界を知り、豊かな体験をたくさんしてほしいんです」。今後、コンテストの参加校を50、100と増やしていきたいと語る奥野さん。では、自身の目指す場所は?
「写真家としての活動もそうですが、アナログからデジタルへの転換期を経た今、できることをもっと突き詰めていきたい。時代は常に流れているので、自分自身もしっかりマイナーチェンジしないと」。自分は何者なのかを、問い続けながら。
コミカルな動きで番組を盛り上げる奥野さん
PROFILE
奥野 安彦 Yasuhiko Okuno
1960年、大阪生まれ。映像ディレクター・写真家。映像、ウェブ、編集製作を主な事業とする「K.M.Tomyam Co., Ltd.」代表取締役。2004年に来タイし、チェンマイを拠点に活動中。奥さんと、ふたりの子どもの4人家族。ウェブサイト「日刊チェンマイ新聞」で日々の出来事を更新中。
DAISUKI JAPAN
毎週日曜7:00〜7:30
「Bright TV」で日本各地を紹介!
父親世代と娘世代の両方に向けた訪日促進TV番組。単なる観光地紹介ではなく、一歩も二歩も踏み込んだ日本文化をタイに紹介している。
[問い合わせ]
Tel:053-217-170
Website:www.kmtomyam.com
編集部より
とあるイベントで出会い、その後すぐにインタビューが実現。ご紹介頂いた平田さんに心から感謝します。そして常に臆さず、時代を読んで変化していく奥野さんの生き方と言葉に、取材中、何度もハッとさせられた私でした