JICA発、そしてタイ初となる野球プロジェクトが昨年から始動。
その初代派遣隊員に手を挙げたのが、浅野目侑一さん。
彼の目から見たタイの野球事情、そして自身が取り組む活動とは。
バンコクから車で2時間半。浅野目さんが指導現場として派遣されたのは、中高一貫となるスパンブリー・スポーツ学校。さまざまな競技が盛んに行われる中で、野球は少数派。初心者から始める子がほとんどという中で、浅野目さんの挑戦は始まりました。「日本で不動の人気を誇る野球は、韓国、台湾を筆頭にアジア各国で浸透し、産業としての経済効果も見られます。そんな野球を通した地域・経済活性化といったタイの発展を見据え、派遣されました。大きな活動は、野球の普及と野球技術向上の支援です」。
ソフトボール文化が深く根づくタイでは、野球人口はわずか1000人ほど。野球の大会は年に1回、それ以外の時期はソフトボールの大会に参加するのが現状です。「野球という言葉さえ知らない人も多いので、まずは『野球ってなに?』と反応してもらうのが、最初の一歩ですね」。
浅野目さんは、小学1年生から野球を始め、甲子園に出場。大学まで現役選手として活動しながら、小中学生に野球を指導してきました。その後は、職業として子どもたちへの野球指導を継続し、指導歴は10年以上。
「プロジェクトの立ち上げとしての責任もありますが、僕が初代だからこそ、全部トライ&エラーで挑戦できます。思いついたことは何でも、実行していきたいです」。
最終ゴールはプロリーグ開設。
そのための土台作りが、今です
昨年9月に来タイし、チームに合流してからは3カ月が経過。その感想はいかに?
「初めて彼らの野球を見て、思った以上に力はあるなと感じました。ただ、チームとして計画性が課題だなと。僕が来る前にもコーチはいたんですが、メニューやプランが一切なく、その日単位の断続的な練習という印象を受けました。そこを見直し、今は先を見据え、曜日ごとにテーマを持って1週間単位でメニューを組んでいます」と改善点を提案。また、それまでの全員練習を初心者と他の選手に区別し、初心者にはルールの確認やキャッチボールなど基本の体得に専念してもらい、それ以外の選手には連携プレーなど複雑なメニューを課すことで、チーム全体の底上げを図っています。
重きを置くのは、自分で考えさせること。「タイの人たちは特に、自分で考えることをせずに育って来た印象があります。言われたことをそのままやることはできますが、本当に強くなるためにはそれだけじゃダメなんです」と、問いかけを増やし、考える機会を促しているのだそう。
そうして選手たちと接しながら、野球を続けたいと思ってもらうためにどんな環境が必要かを、浅野目さんは考えます。野球だけで生活できない現状だからこそ、その受け皿を作る必要があると。
「タイにはプロチームもないし、代表チームに選出されても補助金はわずか。実力があっても、仕事が休めない選手は参加できないなどサポートが不足しています。その環境を少しでも整えられれば…」。
受け皿の最終ゴールは、プロ野球リーグ。ただ、そこに向けて耕すべき土壌は果てしなく広大です。派遣期間は2年。その間に、まず日本への野球留学ができる道を何とか形にすること。そして、タイの学校への訪問活動など画策中です。
「“革命を起こすのは、若者・馬鹿者・余所者”。これは、所属先の社長から言われた言葉です。まずはタイで“野球”という言葉が浸透する日を目指し、僕が出来ることを現場で実践していきます」。
PROFILE
浅野目 侑一
Yuichi Asanome
1986年、東京生まれ。小学1年から野球を始め、大学まで打ち込む。大学在学中に、現所属先である「スポーツデータバンク株式会社」で小・中学生に野球を指導。同社に就職し、JICAの民間連携ボランティアとして昨年9月から来タイ。タイの野球普及活動に努める。リラックス方法は、チームの子どもたちと食事。好きな言葉は「氣心腹人己」。
JICAタイ事務所
タイにおけるさまざまな支援活動を行っています
JICAの「民間連携ボランティア制度」は、民間企業がグローバル人材育成等を目的に社員をJICAボランティアとして途上国へ派遣する際に、それを支援する制度です。
[問い合わせ]
Tel. : 02-261-5250
E-Mail : ti_oso_rep@jica.go.jp
Website : www.jica.go.jp/thailand
編集部より
「子どもたちが親切で、タイでの生活に全く苦労してないんです」と笑って話してくれた浅野目さん。どんな環境にも柔軟に対応できる度量の大きさと、現状を冷静に分析できる目が、新たな道を切り拓く強さなのだと感じました