山岳民族を支援して31年 コーヒー栽培から新しい未来を

1987年、タイの山岳民族を対象にした支援施設「リス生徒寮」の寮母として、
チェンライから車で2時間ほど離れた場所で暮らし始めた中野穂積さん。
2008年から始まったコーヒー栽培が今、新たな繋がりを育んでいます。

「ここは桃源郷か…」。知人に連れられ辿り着いたチェンマイの村で出逢った、色鮮やかな衣装や装飾品を身に付け、はにかんだ表情を見せるモン族の人たち。その姿に、思わずこの言葉が口からこぼれたと穂積さんは振り返ります。それは、1984年のことでした。

その3年後、縁は繋がり、リス族の教育支援としてチェンライ・メースワイ郡に建てられた「リス生徒寮」の寮母に就任。「1年だけと思って来たのですが、始まったら頭の中は子どもたち一色になっちゃって。他のことを考える余裕もなく、無国籍を含めた子どもたちが生きていく力を養えるようにと努め、2015年の閉寮まで、あっという間の日々でしたね」。

そんな穂積さんがコーヒー栽培へ向けて歩み出したのは、2008年。生徒たちの家族の重労働に見合う“換金作物”は何かと考えていた時、東京のNPO法人による生活向上プロジェクトのサポートを受け、コーヒーを介した支援が始まりました。「山の土地を借りられる15年の間に、結果を出したい」という決意と共に。

山の人たちは運命共同体。
最後まで見届けたいです

研修を受け、自分たちで育てたコーヒーの苗を農園に運んだのは、2011年6月。標高1100メートルの山間、40度近い急斜面に広がる約12ライ(1ライ=1600㎡)の土地に、5000本の苗を植えていきました。同時に、害虫から苗を守るため、マンゴーや柿などの果樹を混植。目指したのは、“おいしくて安全なコーヒー”であり、農薬を使わない有機農法。しかし、周囲は否定的だったと穂積さん。

「何度も、農薬を撒けば早いと言われました。けれど、それによって体にも環境にも悪影響が生じる。化学肥料を撒き続けることで、山の暮らしが壊れると思ったんです。有機農法でもやれるということを示して、みんなに伝えたかった。人にやさしい、自然と共に生きる方法を」。

水やり、堆肥作り、害虫駆除、耕作…。有機農法の難しさを肌で感じながら、試行錯誤を経て穂積さんがコーヒーの実と対面したのは、定植から2年後。それは僅かながら、有機農法への理解が山の人たちに伝わった瞬間でもありました。

穂積さんが山の人たちとの関わり合いの中で心に決めているのは、約束を守ること。嘘偽りなく、心を裸にすること。「言葉の問題がありますから、すべてを伝え切るのは難しい。だからこそ、姿勢で伝えるしかないですし、そこにコツはありません」。そうして、全身で向き合ってきました。

今年で栽培を始めて丸7年。少しずつ豆の収穫量が増え、品質も向上。自ら行う焙煎も安定し、自立への道筋も微かに見えてきたと手応えを感じています。

「大変なこともありますが、良かったことの方がたくさんあります。一番は、今まで以上に山の人たちの心に寄り添えるようになったこと。自然の中に身を置き、朝から夕方まで農作業を行う。終わった後は、周りの山を眺めながら風に吹かれて帰る。その時の風景がとても美しくて、こんな時間があるからこそ、みんな山から離れられないのかなと思いました」。

同じ気持ちを、同じ場所で共有する――― 穂積さんは近代化が進むタイで、山の人たちがどこに向かうのかを見届けたいと口にします。「おせっかいかもしれませんが、山の人たちの役に立ちたいですし、寄り添いたい。死ぬまでずっと…もう運命共同体ですね」。そう軽やかに言い、穂積さんはニコリと笑いました。

農園で見たコーヒーの実。取材時はまだ青く、今から赤く色づいていくそう(10月末〜1月頃が収穫期)


PROFILE
中野 穂積
Hozumi Nakano
1956年生まれ、三重県出身。青山学院大学卒業。87年、チェンライ県メースワイ郡で山岳民族を支援する「リス生徒寮」開設。2008年から東京のNPO法人による支援を受け、コーヒー栽培に着手。現在はタイ人スタッフと共に、元生徒寮である「暁の家」で生活。リラックス方法は、飼っているイヌやネコと遊ぶこと、庭の草花の手入れ。


ルンアルン(暁)プロジェクト
「暁の家」訪問や農園見学など
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「暁の家(元生徒寮)」を母体に、コーヒー栽培をはじめ、山岳民族の教育・生活を支援。支援会員や寄付を通して活動をサポートして頂ける方も募集しています。コーヒーの購入は「デコセレクション」で。
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Address:P.O.Box 5, Wiangpapao, Chiangrai
Telephone:05-364-8825
E-mail:rungarun_akatsuki@yahoo.co.jp
Website:www.rungarun-akatsuki.ednet.jp


編集部より
取材時、現地で共に過ごしたのは「暁の家」の存在を知って自主的に訪れたという青山学院大学の学生たち。「自分たちが農園や山の人たちに対して何が出来るか」を考える姿に、新たな息吹きを感じました


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