バンコクで創業24年、寅次郎・中村蒸一

何が起きても前を向き、
笑顔を絶やさない生き方で


タイ全国にある日本食レストランの数は4000店以上、そのうちバンコクにある店はなんと2000店を超える。これは昨年度のJETROのデータを参照にしたものだが、大阪府ほどの面積を持つ東南アジアの都市に、これだけの日本食店がひしめくのはけっして奇跡などではない。多くの日系飲食チェーンやオーナー店がバンコクという新天地で花を咲かせようと、努力を積み重ねてきた結果がその店の数であり、背景には時代の節目や人間模様とともにさまざまなストーリーがあるわけである。



飲食店経営とはまったく無縁の人生


「寅次郎」が創業したのは1997年。

それから24年経った今ではバンコクで知らない人がいないほどの日本食店だが、創業者でオーナーの中村蒸一さんは自らが料理人ではないどころか、飲食店経営とはまったく無縁の人だった。ジャーナリストか教職を目指していたという中村さんが通っていた大学は教育学部。小泉八雲の研究に打ち込んでいた。卒業後、大学時代の教授の勧めもありメコン基金という民間ボランティア財団に参加し、タイの教育機関支援でノーンカイ県に派遣され、これが中村さんとタイの最初の出会い。そこで見たものは、教育を受けられない子どもたちの実情。

登校拒否などの問題が台頭しつつあった当時の日本と比較し、「(学校に)行けるのに行かない、行きたいけど行けない」という両国の間にあるパラドックスとも言える状況を体感することで、教育問題を紐解く糸口が見えるのではないかと感じたという。  



1996年、 まだタイには少なかった日本食店を始めてみよう

ノーンカイ県での滞在予定は1年間。しかしボランティアという立場なため収入に事欠いていた中村さんは悩んだという。「いつの間にか、助けに来たはずが助けられてばかりになっていました。自分が独立もできていないのに人助けをするというのは、少し違うのかもしれないと感じ始めたんです」。

そして中村さんはタイでの生活基盤をつくるために、バンコクでアルバイトを始めた。その仕事を通じて縁が生まれ、日本食店を興すことになるのだが、それは1996年のこと。教育学部を卒業したところで日本での就職は厳しい。それだったら、まだタイには少なかった日本食店を始めてみようというのが動機だった。  



訪れる難関を突破、 前を向いて笑顔を絶やさずに進みたい

翌年、最初の「寅次郎」をオープン。その後、日本食ブームや日系企業進出の波にも乗り、経営は順調に伸びていった。

しかし、タイで始まったアジア通貨危機が中村さんの事業に最初の影を落とす。それをなんとか乗り越えると次にやってきたのが2010年の“暗黒の土曜日”で知られる赤シャツ・デモだった。この騒ぎで「寅次郎セントラルワールド店」は焼失。さらに2011年の大洪水が追い討ちのようにバンコク経済を襲ったが、中村さんは持ち前のバイタリティで続けざまに訪れる難関を突破してきた。そして、2020年に始まったコロナ禍。かつてないような社会状況の中で飲食店も苦境を強いられているが、中村さんは前を向いて笑顔を絶やさずに進みたいという。

願い続ければそれはいつか叶うというが、それは違うかもしれない。でも、どれだけ清々しく生きられるかは願い次第ではないだろうか。中村さんは心地いい場所とおいしい時間を創造し、それを周囲の人たちに提供して、プライドを持って生きていく。

寅次郎と中村蒸一さんのデュエットに終わりはない。



「情熱酒場 寅次郎 スクンビット39店」詳細情報

店名 情熱酒場 寅次郎 スクンビット39店
ジャンル
エリア
その他情報
【BTS】プロンポン
電話番号
営業時間 16:30〜24:00(L.O.23:00)
定休日 なし
駐車場 あり
VAT 7%
サービス料 10%
クレジットカード VISA , MASTER , JCB
Facebook
所在地

1 Soi Promsri 1, Sukhumvit 39 Rd.

 

「情熱酒場 寅次郎 スクンビット26 日本街店」詳細情報

店名 情熱酒場 寅次郎 スクンビット26 日本街店
ジャンル
エリア
その他情報
【BTS】プロンポン
電話番号
営業時間 16:30〜24:00(L.O.23:00)
定休日 なし
駐車場 あり
VAT 7%
サービス料 10%
クレジットカード VISA , MASTER , JCB
Facebook
所在地

1st Fl., Nihonmachi Mall, Sukhumvit Soi 26

   

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