Jリーグはアジアと日本に何をもたらしたのか、担当者と共に振り返るアジア戦略10年の歩み(前編)

2008年をピークに人口減少が始まり、世界でも類を見ない超高齢化社会を迎えている日本。こうした状況下にあって、地域社会と一体となった運営を理念とするJリーグは、サステナブルな成長を遂げるために、海外、中でも成長著しく親日国家も多いASEANを中心としたアジアに目を向けた戦略を展開している。
 
2012年にスタートした「Jリーグアジア戦略」は、今年10年という節目を迎えたが、これまでのアジア戦略の歩みを担当者たちはどのように評価しているのだろうか。中心的な存在として戦略を推進してきた山下修作(公益社団法人日本プロサッカーリーグ事業本部 マーケティング戦略スーパーバイザー)と大矢丈之(同事業本部海外事業部 部長)へのインタビューを通して、これまでの10年でJリーグが積み上げてきたものを見つめ直し、次の10年へ向けてJリーグが進むべき道のヒントを探る。
 
 

アジアの成長に貢献するからこそ生じる危機感

Jリーグのアジア戦略スタートの直接的な契機は、2008年に起こったリーマンショックにある。世界的な恐慌の影響でその後の数年間、Jリーグや各クラブの経営は苦戦に陥る。日本の人口的な成長は限界が見えていたこともあり、直面する苦境を乗り越え、さらなる成長を掴むためにJリーグが選択したのがアジア進出だった。
 
このアジア進出は、放映権収入を得たり、グッズ収入アップやインバウンド客の誘致につなげたりするだけのものではなく、Jリーグがそれまでに培ってきたノウハウを販売しようというものでもない。むしろ、アジアに対してノウハウを無償提供していくものだった。
 
敢えてこのような方法を選択したのは、日本だけでなくアジアサッカー界全体の価値を高めることにより、成長の牽引役であるJリーグに人・物・金・情報が集まりやすい環境をつくることこそが、Jリーグの持続的な成長につながると考えたからだ。同じアジアの一員として共に成長するという施策は、世界のサッカー界をリードするヨーロッパには不可能であり、アジアに位置する日本だからこそできるものだと山下は言う。
 
「ヨーロッパのリーグやクラブもアジア戦略を進めていますが、彼らはあくまでもアジアを『マーケット』として捉えていて、ここからどうやって、幾ら稼ぐかという考えの方が強いです。ブランディング力も違うので同様のアプローチで勝つのは難しいですが、一方で『共に成長する』というメッセージは、同じアジアの一員である我々にしか出せません。この点はヨーロッパとの差別化を図る上で意識しています」(山下)
 
日本だけが成長してもヨーロッパに追いつくのは難しい。だからこそアジアのライバルたちの成長を促し、切磋琢磨できる環境を構築する。ノウハウの無償提供はそのための重要なポイントだったのである。

 
 

長期的な視野でスタートしたアジア戦略、肝は「アジアと共に成長」

 Jリーグがアジアに提供するノウハウは、大きく分けて「育成」「運営」「マーケティング」「プロモーション」の4つだ。この内、ビジネスとしてのサッカーを展開する上で欠かせない「運営」「マーケティング」「プロモーション」に関しては、日本との大きな違いにカルチャーショックを受けたと大矢は話す。
 
「アジア、特にASEANの中でサッカーがビジネスとして成り立っている国は多くありません。中には多額の資金が投入されているクラブもありますが、それはオーナーや企業が道楽的に投資をしているからで、火の車の経営というクラブは少なくないのです。特に試合運営面では、自分たちからお客様に会いに行かず、ただスタジアムで試合を開催して待っているだけのような状態のクラブは多いです。Jリーグの場合、地域のイベントに参加したり、サッカー教室を開いたりと、地道に地域の方々と触れ合うことで観客を増やしています。しかしアジアの場合、こうした活動ができていない、そもそも自分たちで営業活動をして地域の住民や企業にサポートしてもらうという感覚自体を持たないクラブが多いと感じています」(大矢)

地域の重要性を認識できていないのは経営規模が小さいクラブだけではない。むしろ資金力のあるオーナーや企業が付いているクラブこそ、特別な営業活動をせずとも予算が潤沢なため、地域を相手にビジネスをする感覚が薄い傾向にあるという。だが、王族や財閥関係者がクラブの経営層に入っていることも多いASEAN諸国では、ひと度政権交代や政変が起こるとクラブ幹部も総入れ替えとなり、突然クラブ経営が立ち行かなくなってしまうケースも起こりうる。このような事態に備えたリスクヘッジと経営基盤の強化に向いているのが日本式のクラブ運営だ。
 
「特に地方のJ2やJ3クラブの場合、1億円払ってくれるスポンサーを1社獲得するよりも、100万円払ってくれる企業を100社集めるような形でスポンサーを募る傾向にあります。当然、前者が悪いわけではありませんし、後者の方が労力も掛かります。ただ、実際、大口の資金を投じられる会社の方が少ないですし、スポンサーを分散させた方が万が一の際のダメージも減らしやすくなりますよね」(大矢)
 
このようなクラブ運営の有効性は、ASEAN諸国とコミュニケーションを取る中で改めて気付かされたことだとも話す。
 
「実は我々も、当初はJ1のトップクラブの方の話を、来日したASEAN各国リーグ・クラブの方にしてもらっていたのですが、ASEANのクラブからすると遠い世界の話のように感じていたようで、あまり興味を持ってもらえませんでした。そこで、ヴァンフォーレ甲府のような経営難から立ち直ったクラブや、ファジアーノ岡山のように地域リーグから駆け上がって観客数を増やしたクラブの方々にお願いして運営面の話をしていただきました。すると、ASEANのクラブ側の食いつきはものすごくて、我々も驚くほどでした。当初J2クラブの方に話をして欲しいとお願いしたときは、『私たちはJ1クラブのようなノウハウがないので、お役に立てるような話はないです』とおっしゃっていたのですが、J2クラブの経営規模や成長ストーリーの方が、ASEANの方々には自分たちの状況に近く、そのノウハウに非常に興味を持ってもらえました。どんなノウハウが評価されるのかは視点や立場によって変わってくるという事実は、私たちにとっても大きな気づきでした」(山下)

アジア戦略が始まって以降、こうしたノウハウ提供を継続的に実施してきたわけだが、10年間でJリーグはアジア全体の底上げにどの程度貢献できたのだろうか。山下も大矢も「我々のおかげとはおこがましくて言えない」と前置きしながらも、カタールワールドカップアジア最終予選に進出したベトナム代表チームの存在や、AFCチャンピオンズリーグ2022でマレーシアのクラブ・ジョホール・ダルル・タクジムFCが川崎フロンターレなどを上回って決勝トーナメントに進出したことなどを挙げながら、ASEANのサッカーは着実にレベルアップしていることに手応えを感じると口にした。それと同時に、いい意味での危機感も抱くようになっていると言う。
 
「例えばASEANのクラブはオーナーの力が強い分、投資などに対する意思決定はとてもスピーディーです。こうした点は今のJリーグにはないものなので刺激を受けます。それに、成績だけではなく、設備面でも日本以上のものを兼ね備えているクラブが増えてきています。こうした現実を目の当たりにしていると、Jリーグも彼らの成長スピードに追い抜かれてしまうのではないかという危機感を抱きますし、負けていられないと思っています」(大矢)
 
危機感が生じてきているのは、当初から掲げていた「近隣諸国と切磋琢磨出来る環境を構築する」という目的に近づけている証左でもあり、忌避すべきことではない。そう考え、Jリーグはこの危機感を飛躍の糧にしていく。
 
聞き手・上野直彦/文・久我智也
 
▶後編に続く・・・(10月3日公開予定)

 


 

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