サミティベート病院スクンビットには院内にパティオのような空間がある。
この病院を何度も訪れているが、植栽があふれたこんなに穏やかな時間が流れている場所があるとは知らなかった。
今回、上坂さんとはここで会うことに。
真っ白のシャツにネイビーブルーのジャケット。
それは、この日の南国らしい青い空にとっても映える素敵なコーディネートだった。
上坂みづえさんは「サミティベート病院」のコーポレートブランドマネージャー。
一般的な企業でいうところの広報などを受け持つセクションで、同院のブランディングなどを担当している。
お会いしたのは、世の中がコロナ禍で混沌としていた頃以来だが、その明敏でパッと周囲を明るくするような笑顔は変わりなかった。
上坂さんは福岡県の出身。
生家は井戸水を使い、家の周りは猪が出るような自然味あふれる土地だったという。
高校までを博多で過ごし、その後上京して慶應大学へ入学。
そして大学を1年休学して米国へ留学するのだが、この時の経験が上坂さんの“生き方”を左右するエポックメイキングな時期だった。
にわかに海外志向が芽生えて一度はそのまま米国で暮らそうと思い立ったのだが「米国はちょっとハードルが高いかも」と判断。
そして日本へ戻り、大学を卒業した2005年にタイへ渡ることになった。
2005年といえばバンコクのスクンビット通りをまだ象が歩いていた時代。
道を往来している車もオンボロで、ダウンタウンも現在のように洗練された雰囲気ではなかったそうだ。
そんな移住のきっかけとなったのが、留学先の米国で知り合ったタイ人のご主人である。
そのご主人が暮らすタイへ移り住んだ上坂さんは日系企業の人事の職につくわけだが、やはり言葉の問題にぶち当たってしまう。
同僚のタイ人スタッフは英語を話せず、自分はタイ語を話せなかった。
「これはなんとかしなきゃ!」ということで、タイ語を勉強するとともに外国でのコミュニケーションの突破力を鍛える。
上坂さんはもともと“言葉”が好きで大学の専攻も文学部。
タイに住んでから、合格率が20%を切る日本語教育能力検定にも受かっているというから相当な努力家なのである。
それから少し経って、花王の東南アジア事業拠点に転職。
ここではスキンケアのマーケティング部門で働き、東南アジア全域を忙しく行き来していた。
そして転機が訪れたのは2011年のこと。
「日本との“国際感覚”の差がなんだかもどかしくて転職を考えていました。だから日本人を必要としているタイの企業で働いてみたかったんです」。
そんな上坂さんにチャンスが訪れる。
なんと週刊WiSEに掲載されていたサミティベート病院の求人広告に応募して見事に採用されたのである。
現職では、サミティベート病院のブランディングを通じて、日本人ニーズに関わる広範囲にわたるマーケティングを担当する上坂さん。
「患者さんの5人に1人が日本人という当院で、日本人の方々と病院の橋渡しをする仕事は確かにやりがいに満ちています。さらに当院を選んでもらえるようにするには何を伝えるかが鍵。例えばたんに病気を治すだけじゃなくて、タイ人が“ワイ”をするような真摯な気持ちで医療に貢献できたらいいなと、私なりの夢を描いています」。
このタイという国で長く暮らす日本人同士の絆づくりにも注力したいという上坂さんは、今までもこれからも、学ぶこと、語ること、そして伝えることに全力投球し続けていく。
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