【バンコク人間模様 第8回】
OUTER ROOM 店主
江波 雄二さん

OUTER ROOM 店主
江波 雄二さん
スクンビット23のカフェ&バー「OUTER ROOM」店主。1978年、バンコク生まれ。小・中・高を日本と英国で過ごし、大学卒業後にバンコクへ戻ると2005年に同店を開業。現在はバンコクにマタドール、舞月、すなみをはじめ5店舗を展開。趣味はサッカーとゴルフ。
文 吉田一紀

いきなり古い話で恐縮だが、1980年代に日本の飲食業界を凌駕した業態があった。
それは「カフェバー」というタイトルでくくられ、六本木の霞町(当時は西麻布ではなくこう呼んだ)にオープンした「レッドシューズ」という店がその走りだとされている。

当時都内で流行ったカフェバーを挙げるときりがないが、渋谷の「ソーホーズ」、表参道の「キーウエストクラブ」などが有名で、僕は仕事が終わった後に夜な夜な通ったものだ。

バンコクにも、そんなカフェバーを彷彿とさせる店がある。
そこは「OUTER ROOM」。
有名な店なので今さら説明も必要ないかもしれないが、僕はここにカフェバーの佇まいを感じる。

大きなカウンターとその背後に広がる酒瓶の棚。
そして吹き抜けを演出する高い天井やダーツルームもカフェバーの作法に沿っている。
バーでもないしレストランでもないけど、なんだか小粋でかっこいい。
それが“アウター”なのである。

この店を仕切るのはオーナーの江波雄二さん。
最初にお会いしたのは意外にも仕事ではなく、大学の同窓会「バンコク桜門会」のパーティだった。
学部や学年こそ様々だが、異国の地で同窓生が集まるのは稀有なこと。その会場がOUTER ROOMだった。
その日も江波さんの“ノリノリの仕切り”が冴え渡って楽しい時間を過ごしたのを憶えている。

江波さんは日本人のお父様とタイ人のお母様を持つ、1978年生まれ。
1970年代のタイといえばバンコクを中心に日本商品不買運動などがあり、当然のことだが様相も現在とは全く異なっていた。
今では多くの日本人子女が通う日本人学校ができたのも1970年代だと聞くが、バンコクにおける日本人社会が形を成していくような黎明期だったのだろう。

江波さんはそんな時代に生まれたこともあり、就学前の幼少期はタイ語しか話さなかったという。
その後は日本人学校へ進み、13歳の時に日本へ。

ここからしばらくの間、日本での生活が続くと思いきや、翌年にはなんと英国への留学を決心。

「なんとなくかっこいいし、興味本位で英国の日本人学校へ留学したんです。ところがミルトン・キーンズというど田舎にある全寮制の学校で、先生は悪ガキを力で制するというタイプ。でも、今となってはいい思い出です」
と、江波さん独特のチャーミングな“悪ガキスマイル”で話してくれた。

そして日本へ帰国すると大学へ進むわけだが、ここからが江波さんの本領発揮である。
学校へはあまり行かず(僕も人のことは言えないが)、たまにバンコクへ帰っても実家には寄らずに街を漂流。

「とにかくモテて仕方なかった」とは本人の談だが、これは本当だったのだと思う。
大学には6年通い、江波さん曰く“もう一度小学校へ行ったようなもの”とのこと。

その間にはダイブマスターのライセンスを取得したり、いろいろな飲食店でアルバイトに勤しんだという。
ただ、この頃のライフスタイルが、現在の江波さんの礎となっているのは否めないようだ。

OUTER ROOMを開店したのは2005年。
お父様は有名な寿司職人、お兄様も名の知れた和の料理人。

「親父や兄貴には勝てるわけがないと思っていたので、日本食以外の店を出そうと思っていました。不安もあったけど、学生時代からやってみたかった自分の店をつくってみよう!と思い切りました」。

そんな江波さんは、今や焼肉店や小料理店など全部で5店舗を切り回す。
髪には少し白いものが目立ち始めたが、人を虜にするようなあの“悪ガキスマイル”は健在なのである。



日本人経営のレストラン&バーとしては、バンコクでパイオニア的なお店。バラエティ豊富なお酒と食事に、「ダーツ」「カラオケ」「シミュレーションゴルフ」のアクティビティが楽しめる。大型プロジェクターでのスポーツ観戦やライブミュージック、マジックショーなどを不定期で開催するので、「飲む&食べる」以外にも多彩なアクティビティが魅力。

「OUTER ROOM」詳細ページはこちら

https://www.wisebk.com/shop/66036/?pr=1

 

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