【バンコク人間模様 第9回】
Little HELP Co., Ltd.代表取締役社長
北本 崇人さん

Little HELP Co., Ltd.代表取締役社長
北本 崇人さん
「Little HELP Co., Ltd.」代表取締役。1975年東京生まれ。2001年にタイへ渡り移住。俳優業の傍らにイベント企画等を通じてタイ・日本の2国間で活躍。現在は同社の代表としてメディア事業、広告、イベントコーディネーションなどに携わる。ソムリエの資格を持つワインのプロでもある。
文 吉田一紀

人に会う機会が多い仕事をしていると、時々「オーラがある人」に遭遇することがある。
今回、初めてお会いした北本崇人さんはまさしくオーラを持った人だった。

お話を伺う場所に約束の時間よりも早く着いて待っていると、「はじめまして、北本です」と彼が僕の正面に座った。
たったそれだけのことだが、その立ち居振る舞いからはオーラが感じられ、その空間はとても居心地の良い空気に包まれた。

不思議なもので、人との相性なんて一瞬で感じるものであり、それさえ合えばインタビューは半分成功したようなもの。
話はこのシリーズで最長の2時間半にも及んだ。

北本さんは1975年、東京生まれ。ちゃきちゃきの江戸っ子である。
そんな彼が最初にタイを訪れたのは大学生の頃。

かつて、タイ国際航空が日本でオンエアしていたCMのキャッチフレーズが確か「タイは若いうちに行け」だったと思うが、北本さんはそれを地でいくようにバックパッカーとして5万円を持ってバンコクへ渡った。

その5万円をたった1日で使い果たすような散々な目にあったが、その時のサバイバル感は楽しい思い出として残っているという。

この旅の数年後に再びタイを訪れてずっと住むことになるのだが、それまでの間、北本さんはある場所で人間形成における貴重な経験を積むことになる。

東京・霞町(西麻布)の伝説のレストラン「キャンティ」をご存知だろうか。
北本さんという“人物”はここで育てられたと言ってもいいかもしれない。

大学にはあまり行かずこのキャンティでアルバイトを始めたのだが、様々な人達との出会いやそこで得た知見はかけがいのないものだったとのこと。

人と会合する際の所作、イベントや催事の切り回し方、そして独学でソムリエの資格を取ったのもこの時期だった。

そして北本さんは再びタイへ向かうことになる。
それは2001年、26歳の時だった。

北本さんはそもそも「子どもの頃から外国に住みたいという意識があった」という。だからか、今度の旅が旅ではなく移住となることは必然だったのかもしれない。

戦勝記念塔近くに部屋を借り、タイ人と恋に落ち、タイ語学校に通った。

転機が訪れたのはバンコクに住み始めて半年が過ぎた頃。
生活費がなくなりかけていたことから、思いつきでタイのモデル事務所に写真を置いてみたところ、早々にオーディショの話が舞い込んだのだ。

これがきっかけとなり、“タイで最も有名な日本人”として知られる俳優との出会いもあり、モデル・俳優業に専念。

「彼と出会ったことで俄然モチベーションが上がったんです。もしかしたら僕にもできるんじゃないかなと」。

この後、ホンダやNTTドコモのCMに出演。
さらに冷感パウダーで有名なスネイクブランドのメインキャラクターに抜擢されるなど、知名度も上がっていった。

ただ、同時に北本さんを少し悩ませたのがビザやワークパーミットの問題だった。

「だったら自分で会社を作って、自分にビザを出せばいいじゃん!と思ったんです」。

そんなひらめきから2007年に自身の会社である「Little HELP Co., Ltd.」を設立した。

自らもモデル・俳優業を続ける傍ら、コーディネーター、キャスティング、展示会やイベントの企画運営などを展開。

ANAの広告や、2010年にはタイのチャンネル7で放映された連続ドラマにもレギュラー出演した。

現在は日本のインバウンドプロモーションや在タイ日系企業のイベントプロデューサーとしても活躍中。

「タイの魅力を語ると尽きないのですが、僕はこの国で日本とは異なる生き方を見つけました。どん底を味わったこともありますがなんとかなるもの。人生は本当に面白いと思います」。

そう話す時、北本さんのオーラが少し輝きを増したような気がした。


Little HELP Co., Ltd.

2007年にタイに設立。「伝えたいを形にする」との理念のもとで、メディア、広告、コーディネーション等の事業を展開。タイと日本という2国間を潤滑油のように橋渡ししながら、お互いの「伝えたいこと」をかたちにしている。

 

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