8月末、バンコクのレガシーゴルフクラブで開催された「ZEN SENIOR CHAMPIONSHIP 2023」に参戦したタレントの武井壮氏。50歳という節目にタイ・シニアプロゴルフ協会のアンバサダーにも就任し、ゴルフを通じたタイと日本の架け橋としての活動を開始した。そんな武井氏とシニアトーナメントの仕掛け人でもある中村映禅氏の対談を通じて、50歳からタイでシニアプロを目指し、夢を叶える扉を開こうとする二人の話を聞いてみた。
スペシャル対談
日本一になって感じた焦燥感
タイで見つけた可能性
—武井さんがゴルフに関わり始めたきっかけとは?
学生時代に陸上競技をやっていて日本一になった時、オリンピックまであと3年。
学業を終えて社会人となるタイミングだったので、いろいろなオファーがあったんですね。
ただ、そのどれもが僕が望んでいた「日本一のアスリート」に対する経済的な提示とはかけ離れていました。
なぜそう感じたかというと、同じ年齢の野球のイチロー選手がすでに数億円という年棒を手にしていて、同じ日本一でもものすごい差があることに陸上競技のマイナー性を思い知りました。
だから、人生における貴重な3年間を、マイナー競技のアスリートとしてこのまま陸上に捧げるのはどうなのかなと感じ始めたわけです。
記録の伸び代はまだまだあったけど、3年間を十種競技のトレーニングに費やしても、オリンピックのメダルにも届かない。
メダリストにもなれないなら、マイナー競技をやる意味はあるのか?と悩みました。
それで「よし、ゴルフに挑戦してみよう!」と決心し、それからしばらくゴルフ関係の情報を集めまくり、やっと見つけたのがダンロップアメリカンキャンプというゴルフ特待生制度。
その審査に通って、アメリカでゴルフを無償で学べる機会を得ました。
それが僕のゴルフに関わることになったきっかけです。
武井さんのストイックさがよくわかるお話ですね。
そのお話を聞いて思うのは、アスリートとして絶頂期の時に先見の目を持って切り替えられたのがすごい。
オリンピックが目の前にあったら、とにかくオリンピックに出場したいと思うのが普通だと思うんです。
しかも武井さんは頂点にいたのに見切りをつけて次の道へ向かったというのが常人ではないですよ。
ただ、その当時はゴルフを目指したことが正しい選択か自信をもてなくて、陸上をやっていればまだまだ勝てる自信があったのでかなり悩みました。
記録も全種目で伸びていて、日本記録も目の前にあったし、いろんなものが手に入ることが見えていました。
だけどあえてアメリカでゴルフに挑戦する道を選んだわけです。
陸上をやめたことを、後悔はしなかったのですか?
アメリカにいた3年の間、常に後悔に近い感情を感じてはいました。
じつはアメリカでは良いコーチに出会えなくて、信じられない話ですけどスイングがわからない状態でゴルフをしていたんですね。
ただ、アプローチとパターは毎日8時間練習していたので上達しました。
入れたい時に入れられる自信がついたのですがショットは本当にひどかった。
どこへ飛んでいくかわからない、まるでギャンブルのようなショットでした。
スコアも伸びなかったので、とにかくゴルフが楽しくなかった。
でも、そこそこの結果を出せる自信があった陸上をやめて、少し遅いけどゴルフという大きな可能性に賭けるためにアメリカに行ったのでなんとでもしがみつこうともがきました。
—アメリカへ渡りゴルフを始めて、さしあたっての目標のようなものはあったのですか?
まずは最初の年にUSPGAのファーストQT(クオリファイングトーナメント)を取ってUSPJを通過できればゴルフを生業にしようと考えていました。
理由は、そんな人が今までにいないので必ずセンセーショナルになるでしょ。
結局それが叶わなかったんですね。
最初の年にはベストが73までしか伸びなくて、この時点でゴルフを仕事にするのは諦めました。
その時はもしかして25歳くらいじゃないですか?すごい決断というか潔さですね。
僕は若い頃から野球をやっていたのですがケガでできなくなり、それがきっかけでゴルフを始めたんです。
プロになろうと一所懸命に取り組みました。
でも、家がお寺だったことで、お葬式が入れば大事な試合を辞退することも多々ありました。
日本のQTの初日、2位に着けていたのに諦めてお寺へ戻ったこともあり、これではプロを目指すのは無理だなと…ところが35歳の時に転機があったんです。
僧侶の修行でタイへ来たのがきっかけで、タイには良いコースをはじめとした素晴らしいゴルフのインフラがあることを知りました。
修行を終えてからタイでQTを受ける機会があってそれにパス。
なぜタイで試合に出たかというと、こちらにいれば日本で葬儀があっても帰れないじゃないですか。
年齢は35歳になってはいましたがやはりゴルフを諦めきれず、 親に仏門を少し休ませてほしいと直談判してタイへ移ったというわけです。
タイを拠点にしてアジアンツアーなどに参戦できればと思っていました。
今、中村さんはティーチングプロとして活躍していますが、それには何かきっかけはあったのですか
じつはタイに来てすぐ、立松里奈というスーパージュニアと出会い、その子を世界一のジュニアに育ててみたくなったんですね。
日本にいる時から「中村はコーチの方が向いているよ」とよく言われていました。
それが嫌だったんですけど、やはりコーチ魂に火がついてしまったというわけです。
そして、彼女を世界一にして、そして自分も50歳という節目を迎えたタイミングでタイのシニアプロにデビューしました。
タイ・シニアプロへの挑戦と
心地よい緊張感の連続
僕は20代で一度ゴルフを諦めて芸能活動を始めていたのですが、またゴルフをやりたかったのは確かです。
ただ、経済的な理由などで満足な練習ができないので無理かなと思っていました。
自分の中に誰かに助けてもらってやっているうちはダメだなという思いがあり、それなりのお金を稼げるようになったところで、自分の時間を自分で使って、自分のお金でゴルフにチャレンジしようと決めていました。
50歳からシニアツアーがあるのは前から知っていたこともあって、まずはPGAのテストをクリアしようということで去年から再びゴルフを始めました。
そんな僕の再チャレンジが始まって少し経った頃に中村さんからオファーを頂いたわけです。
武井さんにお話を持ちかけたのがちょうど一回目のシニアプロテストを終えた頃。
僕もまだ手探りだったので、一回目を済ませて確信が持ててから声をかけさせてもらおうと思っていました。
今回は二回目ということもあり、協会とのパイプもしっかりと構築できましたし、日本人がシニアプロテストを受けるための下地も作ることができました。
そして念願だった「ZEN SENIOR CHAMPIONSHIP 2023」も初開催。
そこに武井さんを呼びたかったので、僕が描いたシナリオにほぼ沿った展開でしたね。
このタイシニアPGAツアーは、まだ賞金金額も試合回数も少ないので、武井さんにはタイ・シニアプロゴルフ協会のアンバサダーになって頂き、知名度やパワーを借りてもっと良くしていきたいと考えています。
試合の方もちょうど明日からシニアツアーが開始。
武井さんにはタイのシニアプロではトップの選手と回っていただく予定で、初めてもことでもあり僕がドキドキしています。